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Full text of "Kokushi ssho"

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DS Yano, Taro ― 

803 Kokushi sosho 

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Asiatic 



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UNIVERSITY OF TORONTO LIBRARY 



i 



:1 

軼 



北 肥戰誌 は, 神 功 皇后の 三韓 征伐 (紀元 八 六 〇 年) より、 天 正 十八 年豊 太閤 小 田 原 北 

條氏 を. D ぼし 天下 一 統 (紀元 ニニ 五 〇 年) に 至る 迄、 凡そ 千 四百 年間、 九州 • lift の 

諸 豪 鍋 島. 少貳俞 池. 大友 • 龍 造 寺、 其 他 の 諸家 の 由來. 活動の 顚末. 諸氏 相互 の 關係幷 

に 之 等の 諸氏と 皇室. 足 利 氏. 太閤. 中 國の陶 • 大內、 四 國の長 曾 我 部 及び 諸外圃 との 

關係等 を、 肥 前國を 中心として 詳述し、 尙ほ 古跡. 寺社の 緣起等 を 附記せ る ものにし 

て、 冊數 三十 卷 あ. 9。 書名 は 北 肥 戦 誌と 名附 くれ ど • 其の 內容 より 察すれば、 九州. 

1 一島の 治亂 記と して 見る を 適切な.^ とす。 之 を 西 國治亂 記. 西國 太平 記 等の 諸 書に 

比する に、 記事の 詳細 確實 なること, 之 等の 詣 書の 及ぶ 所に あらす。 

本書、 原 名覺書 • 一 名治亂 記と いふ • 原著者 は 誰なる か 知る を 得すと 雖も、 馬 渡俊繼 

といへ る 者 之が 取捨 選擇を 加へ て 年經る こと 久しき に 及び • 鍋 島 侯の 執事 この 書 

の 散逸 を 恐れ、 君 侯宗茂 一 覽の 後、 新に 長淼 氏に 命じて 訂正 淨書 せしめ、 而 して 治 

亂 記と 名づ く。 時に 享保五 年な- 9。 これ 本書の 序に 依.. > 明 なれ ども、 北 肥 戦 誌と 

名附 けたる は、 その 何時なる か 知る を 得す • 盖し享 保 以降なる は 明な,.^。 



解 = 

畏森氏 は 通稱傳 次郞、 以 休と 號す • 寶曆 三年 一 月 七十 歳に して 卒す。 林 大學頭 信 篤 

の 門人と して 4: 名 あれ ど、 著作 詩文 一 も傳 はらす • 僅に 九州 治亂記 序文 あるの み。 

休の 末孫 あり、 傳次 郞と稱 し、 後 有 斐と改 む。 宫 司法 及 法制 屬奏任 三等に 至る, 

詩文 を 善くし 久米 搏士と 友た,^、 今 を距る こと 十 年 前に 死す。 養子 藤吉郞 法學士 

にして 官 勅任 二等に 至る (撿事 正 大藏 大臣 官房長) 今 野に 在, 9 て 商業に 從 事し、 中 

4 ^谷- 2 住す。 

本書 W 行に 當り、 侯爵 鍋 島 家 は 特に 印行の 許諾 を與 へ られ、 東京 帝 國大舉 史料編纂 

褂は 原書の 謄寫を 許可 せられた, 9。 記して 玆に 厚意 を 深謝す。 

大正 七 年 二月 國史 研究 會鶴 



一、 本 編 は 北 肥戰誌 三十 卷の內 、第一 卷ょ..^卷之十六迄を採收す" 

1 、 反 讀を讀 下しに 改め、 語尾 を铺 ひ、 句讀を 施す 等、 旣刊の 諸 書に 同じ * 

一、 原本の 特長と 思 はる、 文字 及び 地名 • 人名 は 多く 1^ 本の ま- -に從 へ り • 



KKiiiritEtirilEilr itIllfEEI. 



目 . ^ 

匕 巴驟志 

TT 月 W ま 

頁 

1 

卷之 一 

異賊來 襲の 事 一 一 一 

九州の 探題 北 條英時 誅戮の 事 一 1 

尊氏將 九州 御 下向の 事 5 

多々 良濱 合戦の 事:: 二 六 

卷之ニ 

菊 池 攻幷將 軍 御 歸洛の 事 二八 

世 良 親王 八 代 へ 御 下向 所々 軍の 事 •::• 三 二 

足 利 右兵衞 佐 直 冬西國 下り 所々 軍の 

目 次 



¥ 

直 冬 朝臣 沒 落の 事 S 九 

卷 之 三 

九州 所々 軍の 事 五一 

探題一 色^^は氏歸洛の事 五 3 

太 宰少貳 S び 武家 方と なる 事 五? 

大保原 合 戰の事 五 九 

菊 池 肥 前 守 武安肥 前 國に來 る 事 六 九 

新 征西將 軍の 宫 太宰府 御發 向の $?「 …:. さ 

探題 氏經 下向 附畏者 原 軍の 寧 

探題 氏經沒 落の iij^.: セ八 

征西 將軍宮 海上 軍の. ¥ ?九 

探題 今 川 道 入 了 俊 下向の 箏 八 



卷之四 

探題 了 俊 入道 所々 軍の 事 八 二 

太 宰小貳 冬資宮 方と な る 事 八? 

少貳家 由 來の事 八 八 

冬資 討死 今 川 兄弟 所々 軍 の 事 き 

菊 池 家 S 來の事 九九 

新 採 題. 溢 河滿賴 下向の 事 一 01 

菊 池武朝 出張 敗北の 事 S 

卷之五 

探題 河 滿賴小 城發向 の 事 一 S 

齙河義 俊 新 探題 に 任す 附沒落 の 事… • 1 1 

大友親 著 子息 孝 親の 爲に 討た る \ 

二 1 



大友家 由 來の事 二 s 

雛 河滿直 探題 職 附莒崎 社 炎上の 事 …: 二 六 

大內入 道徳 雄 討た る、 事 ニセ 

大內介 持 世 九州 渡海 井少貳 父子 自殺 

の 事 二 九 

宗家. W 来の 事 二 一 一 

探題 滿直 討死 附 子息 萬壽丸 任職の 事丄 ニニ 

千 葉 介胤鎭 浪人の 事 一ニ|1ー 

卷之六 

浦 肥 守義赤 烏帽子の 事 M 

松 浦 家 由 來の事 一 二八 

新 少貳敎 賴御勘 氣の事 一 二ん 

卷之七 



少 貳敎赖 御勘氣 御免 附又御 勘當の 

» M 

« 造 寺 家 由 來の事 M 

少 貳敎賴 討死の 事 11 一一 八 

鍋 島 家 由 * の 事 Is 

千 葉 家. S 來の事 : 11 一一ん 

千 葉 家 威勢の 事 ISO 

河 上 合 戰附今 河 伊豫 守 討死の 事 :…… 一 SI 

千 葉介敎 SSI 、ま 出張 附沒 落の 舉 :…… 5ー《 

土 一揆 合 戰の事 S 

少 1^ 政尙 探題 澀河 萬壽丸 の 事 1 

千 葉 家 繼目少 貳の事 h パ 

少« 政資 出張 附箱崎 八幡 社家 炎上の 

• i 

少 貳政資 父子 对 死の 事 12 



卷之 A 

千 葉脱繁 小! g 郡に 歸 入る 事 一 さ 

澀河刀 禰王丸 採 題 職に 任 やる 事 ……: 一 七! 一 

龍 造 寺 家 和 將軍家 へ 出仕 附剛忠 萬 部 

の * m 

千 葉 胤 繁歸國 幷少威 資元家 を 興す 

事 一 ま 

大 友義 娃嫡家 を繼ぐ 1* 1 七 八 

篛尹將 軍 御 歸洛の 事 K1 

宗讃岐 守義盛 朝鮮 圃を攻 むる 事 :…… 一 八 二 

锐紫滿 門 馬場 頼 周の に 討た る 5 

1 八 3 

少 貳冬尙 元服の 事 一 八ル 



卷之九 

肥前國 野路 宿 合戦の 事 1 九 四 

陶尾張 守 入 道麒 九州 渡海 所 々合戦 

の 事 一 究 

陶 入道 道麒肥 前へ 打 入る 事 1101 

卷之十 

寵造寺 家 兼 道 麒の陣 夜 討 m 観世音の 

微像を 得る 事 一 Is 

大内 介義隆 來陣少 «資 元 切腹の 事:: 一 10? 

木 原 軍 幷新少 貳冬尙 の 事 一 11 11 

鍋島彥 法師 丸 千 葉 介 胤連 養子の 事:: 二 I 六 

馬場 i? 周 寵造寺 を 謀る 事 二 111 

龍 造 寺 一 家 所々 討死の 事 -H,^ 



卷之 十一 

龍 造 寺剛忠 入道 歸國附 馬場 賴周 父子 

討お る \ 事 lis 

龍 造 寺 入道 剛忠 後の 萬 部 成就の 事…. li 

寵造 寺剛忠 入道 卒去 附隆信 家相 續の 

事 i 

寵造 寺胤榮 本領に 歸る 附少貳 冬- S 沒 

落の 事 ilIK 

寵造寺 隆信兩 家相 續附 小河筑 後守武 

純忠 心の 事 B 

少贰 冬尙歸 城の 事 1¥1 

ra 尻 伯 耆守親 種 筑後圃 K 尾に 城 を 築 

く 事 S 

豊後國 黑嶽に 鬼 馬出づ る 事 一 一五? 



卷之 十二 

大 友義 鑑橫 死の 事 ::: so 

菊 池義武 蜂起 附下筑 後 所々 軍の 事:: 二 § 

大內介 義隆滅 t 附 « 造寺隆 信沒落 

の 事 二 七 一 

鴨 打 陸 奥 守 胤 忠隆信 へ 忠 心の 事 :…… 一 七 

隆信歸 國の事 二八 一 

卷之 十三 

八 宗暘 落城の 事 二八 K 

小 田 政 光軍附 和平の 事 $ 

寵 造 寺鑑兼 以下 浪人の 事 :.:: - 二 九 一 

肥 後 國南關 軍の 事 二 九 一一 

高木 鑑房 沒落附 生害の 事 



大友少 貳の事 si? 

隆信 重ねて 神代と 餘循の 事 二 九 八 

城 原 攻井筑 後 守 神代 勝利 を揀む 事…. 一 H 九 

神代 家 由 來の事 1 一一 二 

秋 月 文 種 生害 筑紫 惟門 沒 落の 事 :::: g セ 

卷之 十四 

神代 勝利 谷田沒 落の 事 I ニニ 

勝利 歸城井 八 BS 宗暘 再び 出城の 事 ;.1 さ 一 

鐵布 合戦 小 河筑後 守: fr 死の 事 S 

城 原攻少 貳冬尙 自害の 事 S 

千 葉 介胤賴 討死 附妙見 太刀 由來の 事. 憂 一一 

卷之 十五 

筑前國 侍 島 軍の 事 



目 



次 



秋 月筑紫 « 造 寺大友 へ 和 を 乞 ふ 事…. 量 セ 

河 上 合戦 神代 勝利 沒落 の 事 一 S1 

勝利 歸 城の 事 1 一一 2 セ 

少贰元 盛 出家 附今 泉播 磨守忠 心の 

* 靈 

有 馬 勢 出張 丹 坂 軍の 事 登 四 

卷之 十六 

隆信有 馬 の 殘黨と 軍の 事 一き 一 一 

隆信 敗軍の 事 

三 根 郡 中 野 城 攻の事 

甕 見 城 落 去の 事 

ffi 江 家 由 來の事 

有 • 梅 家 由 來の事 



ま 五 

き 

生さ 

全 七 ill 



六 

く 事 , § 

寵造寺 隆信重 ね て 須 古攻附 和; 牛 の 

* S 

隆信重ねて三根郡西^2!5城攻の事 :…… 一 1 一八 一 

神代 長 良 千 布 落城の 事 一 S1 一 



大 友義鎭 入道と なる 附 g 蘇宗 i: に 傾 



目次 終, 



匕 c 

JT 月 



序 



謹!!: 若稽, 古、 其 治 也、 其 a 也. 猶,, 四時 之錯 行; 而 成敗 離合 紛,, 于數 百年 之 間; 盖政 

令 休 明 則 邦家 永久、 敎化陵 夷 則民庶 離散" 三代 之 盛 .五, 季 之衰、 豈其可 k 不, 鑑, 于玆, 

乎。 惟夫 九州 天府 之國" 而都會 之 地、 山川 神秀 拔,, 其粹, 也" 人物 雄偉 出,, 其 額, 也。 是 

以、 名 趾勝蹟 儼,, 存于 彼; 豪傑 將士 發,, 掘 于此; 我 肥 之 勳績、 亦 卓,, 爾於此 中; 然其實 者,、 

非- 史策, 则 其不, 可-得 而 也。. 無= 其 人, 則 其不, 可,, 得 而述, 也- 粤有ぉ M 氏 俊 繼-ぉ 

乃 肥 州 之 産、 而 覃,, 思 事跡; 故閱, 市 求つ 5^ 取, 實闕っ 疑、 更互演 釋删, 其 1.1 亂; 而 其編以 

足&, 之矣" 不,, 乂幸, 哉。 自, 爾以 來蠹食 年久、 而 知者 鮮矣。 不,, 又惜, 戗。 執 5* 小川 俊 

方 知乏不 、感而 有, 餘, 以達 ¥ 君 所; 賢 嗣君乙 K 之 後、 新 降, 高 命, 淨書 訂證、 1 

序 J 



曰,, 治亂 記; 總 三十 卷。 是其休 明 陵 夷、 熙々 然昭々 乎不 y 在- 于此 書-哉。 

于 y 時 享保庚 子年 長 森 氏 記, 之 



1^ M 志 1 

異賊 襲来の 事 • 、/ 

竊に 開く。 昔 神 功 皇后 三韓 を 御 征伐の ため. 鍵 西 へ 遷幸 ましく、 先づ 肥 前 國背振 山 

の S 頂に 御陣を 召され、 異國御 渡海の, 秤議を 決せられ、 夫よ.^ 松 浦 潟 へ 遷ら せらる • 

折節 酷暑の 頃 なれば、 玉 島 川に 御 逍遙 あ. o。 則も彼の淺ょ,^^御船を出されけるに、海 

みち ひさ 

路の御 道 引 は、 住 吉大明 神 白髮の 翁に 現じ 給 ひ、 御 召 船の 梶取は 志賀の 明祌、 先陣 

は^ 豫の三 並、 軍 奉行 は武 內宿禰 にて、 高麗 國の奧 女 具へ 御 討 入 あ. o。 海陸の 御 合 

戦に、 高麗 八箇 道、 新羅. 百濟. 契 丹の 三韓 を 悉く 御 返 治まし )(^* 異國の 王 は 我が 日 

本の 犬な. 9 と、 御 弓の 箬 にて 御 書 を 付けられ、 頓て 御歸朝 あり。 筑前國 へ 上らせら 

れ しに、 此時、 后 御懷胎 にて、 皇子 應神 天皇 を 御 誕生 まします。 其 御 產所を 今に 香 

異賊整來の^6^. 一 : HE . : 



異國 征伐 

の 初 



■ 北 肥喊^ 卷之 1 S 

椎と 申す。 御 55 生の 時、 靈香 四方に 薰じ、 近邊の椎の木の葉、皆香しくな.^し故に、 

かくは 申すな b。 是れ 日本よ 異 國を征 する の 初な り。 其 後. 人 王 三十 四 代 推 古 

天皇の 御宇に、 三韓 反復して 奇異の 曲者、 曰 本へ 攻め 來る。 其 身、 鐡 なる 故、 是を 

和 人は鐵 人と いひけ り。 時に 伊豫の 國の 住人 樹 下の 押頜使 越智 益躬、 勅命 を 蒙.^ 

是を追 す。 その後、 人 王 三十 九 代天智 天皇の 御 時に も、 新羅 國和朝 を 背く 故、 先 

例に 任せられ、 越智守 興に 勅定 あって 征伐 せられぬ。 同じく 四十 五世 聖武 天皇の 

御宇に も. 亦 三韓 日本に 背く に 依 て、 藤 原 宇合の 息 男 淘若を 以て、 是 を誅戮 あり * 

それより は 異函ょ a 本 を 侵す 事 もなか h- し處 に、 星霜 久く 去..^ て、 人 王 六十 八 代 

〔未〕 

後 一 條院の 御宇、 寬仁 三年 己^の 春、 新羅の 賊起り て、 三月に 高麗 を 出船し、 四月 一 

n: 對州 へ 著き、 同 三日 壹岐 へ 來. 同じき 八日、 筑 前の 國志 摩の 郡 へ 上,, > し を、 筑. 肥 

の 軍士 馳集 b て、 悉く 是を 退治す。 又 人 王 七十 三代 堀 河の 院の 御宇、 寬治 年中に も、 

蒙古の 大勢、 兵船 を そろへ て 攻め 來 るの 間、 九州の 諸士、 壹岐. 對 馬. 筑 前の 海上へ 漕 

ぎ 向って 相戰 ふ。 中に も 肥 後の、 H の 住人 菊 池の 太郞 經隆、 綸旨を 給 はって 戰功を 



柚んで 是を 追討す,。 其後、龜山の院の御宇、文永ニ年乙?^、«古又數千艘,^^勢三な 

七十 六 萬 人、 八月 十三 31 ラ 1 國博 多の 律に 襲來 す。 鋭 西 大きに 騷 動し、 九國の 士卒 

皆馳 集り、 蒙古と 相戰 ふに、 異敵、 蟻の 如くに 見えて、 防戰 中々 叶 ひ 難、 睐方 悉く 中 

國へ 引返く。 蒙古、 勝に 乘 り惯 多. 箱 崎の 陸上へ 上 h^、 旣に千 手. 秋月邊 まで し 來 

しに、 原 田 次 郞と秋 月 九郞が 軍兵 共、 山中に 隱れ 居て、 或は 鬼面、 tS は 獅子頭 g サ, 

靑. 黃. 赤-白. 黑に 異形 を眞 似、 あそこの 木蔭. こ、 の 叢よ b 現れ 出で、 烈しく 討戰ひ 

し 程に、 異賊 共、 是は 正しく 神. 軍よ と膽を 消し、 皆 逃 去. ^て數 wis の 者 共、 自然と 船 

を 返し、 殘らゃ 高麗へ 歸. ぬ。 然る 處に、 又 程 もな く间 十一 年 甲 戌 十月 六 =、« 古數 

千 艘對州 へ 著 船し、 同 十九 日、 筑前國 今津の 沖に 來 り.、 明くる 廿 :11、 博 多へ 入る。 九 

州 は 申す に 及ば や、 五 幾 七道 周章し • 關東丄 ハ波羅 よ,.^、 鎮 西の 武士に 御敎書 をな さ 

れ、 諸國の 軍兵 博 多へ 馳 集る。. 折節 雪 消の 洪水に て、: 筑後圍 千年 川に 到.^、 薩. 隅 .リ 

豊. 肥 後國の 軍兵 共、 渡る 事 を 得 ざり しに、 神代 民部大 輔良忠 、【假 橋 を 渡して 悉く 之 

を 渡す。 後に 鎌 倉へ 聞え て、 時の 執 權北條 相模守 時宗: 良 中 i を 賞せられ、 傲 の 御 

i 錢來の 事 . I 



ふ 築の 異 
地爲圃 
5^ に 防 

構石禦 



北 肥戦篛 卷之 1 ^ 

敎書を 以て 領知を 加 恩 あ b けり。 時に 肥 後 國菊池 左 京大 夫 隆泰、 大將の 號を給 は- 

って、 錦の 御 旗 を 下され、 W 多へ 發 向し、 箱 崎の 极 原に て 蒙古と 合戦す。 菊 池大, 

に 利 を 得、 隆泰が 三男 三郞 有隆、 鎌形と いふ 所に て、 異賊の 大將鬼 盤 藏を討 取 わ. 

ぬ。 時に 菊 池が 指す 所の 錦の 御 旗に * 血 多く 付きけ り。 其體 赤き 星に 異ならす。 

軍 散 じて 後、 彼の 御 旗 を叙覽 あ,.^。 菊 池に 赤 星.^ 總名を 下し 給 はる。 是ょ. 9 して 

三郎 有隆、 赤 星と 名字 を替 へ け.^。 此戰に 极浦山 代 彌三郞 階 討死し、 千 葉 介 賴胤疵 

を 蒙り、 明くる 建 治 元年 八月 十三 日、 領地 肥 前の 小 城に 於て 歲三 十七に て 失せぬ。 

斯くて 蒙古 程なく 退散し けり。 斯樣に 折々 蒙古 襲來 して 合戦に 及び、 如何にも 難儀 

な b しかば、 異國警 の 爲め關 東 御 下知 を 加 へられ、 九州の 武士に 課役 を 以て、 建 

治 二 年 三月よ.^ 博 多の 律に、 石 築地 を 構 へら r^。 其 所、 博 多 冷泉 律よ, 5 北の方 三 四 

里が 間 を、 高さ 四 五 丈に 大石 を疊み 、屏風 を 立てた る 如くに 事々 しく 之 を 築く。 太 

宰少 «資 能、 兼ねて 太宰府に あ, 9 て 此事を 奉行す" 玆に因..^て鎭西の輩、各,.人夫を 

具して 博 多の 津に向 ひ、 請 取の 役所 を 定め、 彼の 石 築地 を 普請す。 其 輩に は筑 前に. 



原 田 孫 次 郞種遠 • 秋 月 左 衞門尉 種 頼 • 田 淵 次 郞.宗 像 大宮司. 千 手. 黑河. 山 鹿. 麻 生. 少貳 

の 一 族 はいふに 及ばす、 醬: 前に 城 井 常 陸 守 時 綱. 長 野. 田 河、 筑 後に 田 尻 三郎種 重. 神 

代 民 部 大輔良 忠.黑 木 新 藏人大 夫. 星 野 • 河 崎. 西牟 W 彌次郞 永 家 • 草 野 筑後權 守 永 綱. 

酒見菅 太郞敎 員. 末 安 右馬允 兼 光、 肥 後に 菊 池 左 京大 夫 隆泰. 阿蘇 大宮司 推 季* 相 良. 

廣北 三郎、 肥 前國に 高木 伯 耆六郎 家宗. 龍 造 寺左衞 門尉季 益. 國分彌 次 郞季高 • 三 浦 • 

深 堀 彌五郞 時 仲. 大村 太郞家 直. @ 中次 郞左衞 門 尉 長 員. 安富. 深 江 K 部 三 郞顆淸 • 有 

馬 左 衞門尉 朝 澄. 後藤 三郞氏 明. 同 塚 崎 十 郞定明 • 橘薩摩 十郎公 ft* 白 石次郎 入道 • 多 

久太郞 宗國. 於 保四郎 種宗. 馬 渡 美 濃 八郎. 今 村 三 郞. 尻 田 六 郎能家 • 綾部 又 三 郞幸重 • 

上 松 浦に 波 多 太郎. 鴨 打 次郞. 鶴 田 五郞馴 • 下 浦に 松 浦 丹後權 守定. 蕃 五郎 省 • 平 

源 五郎 答 萬 里 源次郞 入道 如 性. 山 代 又 三郞榮 以下 兩黨の ST S 後に 大 # の 一 族、 

薩 州に 島津 兄弟、 日向に^ 東-土 持, 大 隅に 牛 籠. 河 侯 を 初と してて、 悉く W 多 へ馳せ 

集 b 之を勸 む。 九國の 大儀. 是に 過ぎた る はなし。 斯 かる 處に、 弘 安四 年 辛 巳 五月 廿 

日に、 又 蒙古が 船 四千 餘艘, 壹 鼓へ 著 船し、 筑前內 志賀. 野 子の 浦よ.^ 柬の 海上 を、 尺 

奚 被 S 來の事 * 



し異 
ズ敵 
戦 上 
ふ 陸 



北 肥戰誌 卷之 一 八 

寸の隙 もな く 船 筏 を 組んで、 陸地の 如く 行路 を自, H に 横 -SJ;: し * 卽 時に 多. 箱 崎へ 

攻め入らん とす。 此事、 大友 因幡 守 親 時が 許より 早速 京都へ 注進 中す。 又 少贰經 

資ょ. も、 鎌 倉. 六 波羅へ 早- it を 以て 急を吿 ぐ。 此時將 軍 家 は 惟康 親王、 執 權は北 

條相模 守 時宗に て、 早速 四國. 九州の 武士、 彼 所へ 馳向 ひ、 異賊を 防ぐ ベ きの 旨 、御数 

書 を 下されし かば、 大友. 島 律. 伊柬. 菊 池. 相 良 .少貳 ,秋 月. 原 田. 松 浦 • 三 原 ふ K 像. 草 野. 

星 野 を 初め、 谷. ie 多へ 馳 集.^ 蒙古と 合戦す。 藁古豫 ねて 日本の 用心 を や 量.^ けん" 

件の 石 築地に 猶 二三 丈が 程 高く、 己が 船に 勢 樓を切 組み 置き 是を 俄に 組立て 、 

日 水勢の 陣所 を遙か 目下に 見なし、 其 頃 曾てな か, りけ る 佛郎機 を 放し 掛けし かば、 

其 音 天地に 響き、 中る 所微廛 とな,. y 、眛方 是が爲 に 討た る. -事數 を 知らす。 大に懼 

ぢ 恐れて、 皆 愛 かしこに 逃 直し、 大將の 下知 を も 相 用 ひや、 更に 戰 はむ ともせ ざ.^ 

けり。 異敵、 勝に 乘 b 悉く 陸 へ ffi 上.^、 和 兵と 討 戦 ふ。 時に 少甙が 弟 武籐豊 前守景 

資、 一 族 郞徒を 相 催し、 是 等と 防戦し ける が、 百路 原に 於て 賊軍の 大將劉 相 公, 長 七 

尺に 餘.. ^、其 形" 佼 叉の 如く、 黑き 馬に 乘 りて 餘を携 へ、 和 兵 を 追つ 立て 相戰 ひし を、 



景資自ら射て^^す。 彼の 景資は 元祖 小 次 郎資赖 以來、 弓箭の 古實を 相. $ して、 無 雙 

の 弓の 上手^り • 斯くて 九州の 武士、 蒙古の 後へ 廻り、 中に も 松 浦 黨の者 共、 壹 岐. 

松 浦の 海上に して 討戰 ひ、 山 代 又 三 郞榮. 志 佐 次郞繼 以下 手疵を 蒙り、 討死す る 

數 輩な り。 肥 前 國龍造 寺左衞 門尉季 益が 1 族 も、 三 W 餘騎 にて 漕ぎ 向 ひ、 大瀨 門. 

小瀨 門. 三年 浦. 幾 島 • 松 島に 於て 蒙古と 合戰 し、 季益が 嫡男 龍 造寺乂 次郞季 時、 特に 

策忠を 抽んで ,賊 兵 を 切る 二百 十三 人な 。然れ ども 異賊 事と もせす、 其 外 後藤 三 

郞氏 明. 同 伯父 塚 崎 十 郞定明 • 子息 中 野 五郎 顆明. 大村 又次郞 家信 • 安富 左 近 將監賴 

泰. 深 堀 左 衞門尉 時 光. 子息 彌五郞 時 仲. 櫛 ffl の宮の 執行 次 郞* 伴 朝 Hli 兼 信 等、 11 じく 

軍功 あり。 筑 後の 國 人に は 田 尻 三郞稀 ま. 间弟次 部 光 討死し、 西 牟田彌 次郞永 家、 

ほめ こ 

閏 七月せ 二日、 松 浦 鷹 島に 於て 戰功 を播 し、 壹岐の 石 田 五 郞爲治 ST 死す。 肥 後 M 菊 

池 四 郎武房 も、 博 多に 於て 挑戰 し、 蒙古 を 多く 討収 b、 其忠 賞と して 頓て肥 後 守に 

任す。 太宰 前少貳 入道 覺惠 は、 愤 多の 軍に 疵を 被,, ソ しが、 其 手に て 今年 八十 四 歳, 

閏 七月 十三 日竟に 死す。 爱に 又^ 豫國の 住人 河 野 藏人大 夫 通有 も、 伯父 伯 耆守通 

異賊襲 來の事 九 



. ^肥 戦 誌 卷之 1 .10 

時と 同じく、 筑前國 野 子 浦 .志賀 島に 於て、 蒙古が 船に 切掛 ニ艘 切り取,^、 大 

將 一 人生 虜. 9、 大に功 を 現し, 通有 疵を被 h> 、通 時 W 死し けり。 稾古 ir ひて 後、 通有 

彼の 討 取る 首 共 を、 己が 鎮地肥 前 神崎庄 崎と いふ 所に して、 大 なる 楠の 枝に 掛け、 

1 々是 を實撿 す。 其所今に慶古屋敷實檢場とぃふな,.^。 拆 通有、 家人 久ー S 彌太郞 成 

俊 を 以て、 件の 藁 古の 首 を 京都へ 運送せ しかば、 其 忠 莫大な b とて、 通有 對馬守 

に 任せられ、 ^豫國 山 崎庄. 肥 前 國神崎 庄內. 肥 後 國下久 々村、 以上 三百 町 を 御 加 恩 

あ, o。 斯くて 五月 廿 一 口よ. ^始, o、 六 七月の Si に、 總て 海陸 七十 四 度の 合戰ぁ hv。 

異賊は 討た るれ ども 數百 萬に て 弱ら や、 咏方は 勝つ とも 無勢に て勞れ た、 り。 此 事、. 

日々 に關 東. 六波羅 へ、 注進 櫛の 齒を曳 きし かば、 宇都 宮三 河守貞 綱が 折節 在京せ し 

を、 鎭 西の 加勢と して 差 下さる。 其 勢 六 一: 上;: 餘騎、 旣に長 府へ著 陣し、 中國の 大內. 厚 

東 雨 人 も 博 多へ * りぬ。 ^伊勢. 岩清水. 加 茂 • 藩:" 等の 諸 寺 諸 山へ、 奉 1- を 立てら 

れ しかば、 誠に 其 利益に や。 閏七 2: 晦 :y、 俄に 大風 稍を碎 き、 S 古 數千艘 ども 一艘 

も殘ら す、 大波の 爲 に打碎 かれ、 數百 萬の 異賊、 海底に 沈みし こそ 不思議 なれ。 斯 



して此度^,::4功ぁ,-し輩には、 六 波 羅の御 下知 を 蒙り、 太 宰少或 經資之 を. て、 皆 

恩赏を給は.^^ぬ。 此 後はル 州の 諸士、 彌! ig 多の、 ず ザ」,^ して. 娃の iS に 番所 を 構 

へ、 代る ~- 庇 所 を 守りぬ。 蒙古も恐れて來らざ,.^け 



九州の 探題 北 條英時 誅戮の 事 



.J ばら 



文 永 .弘 安に 蒙古 來 りし 後 は、 鎌西タ 時く 靜 かなりし に、 元弘. 建武の 頃より、 九州 又 

騒亂 す。 其 濫觴 を尋閒 くに、 人 王 九十 五代の 帝 後醍醐 天皇、 鎌 倉の 執 權北條 相模守 

卒高時 入道 崇鑑 を御惡 みの 仔細 あ つて、 彼の 一 家 を 御;^ 治 ある ベ しと、 足 利 治部大 

輔高氏 • 新田 小 太 郞義貞 r:; 下の 諸將 に、 綸旨を 下されし かば、 柬西 蜂の 群る 如く • 南 

北 蟻の 集る に似て、 皆從ひ 奉り、 竟に高 時 入道、 元弘 三年 癸 酉 五月 廿 二日、 鎌 倉に 滅 

C し、 兩六波 羅の左 近 將監時 益. 越後 守 仲^も、 同月 九日、 江州番 場に て 討 たれぬ。 

然るに 近年、 北條 家より 一 族の 中 を 選ん て、 諸國の 守護に 差 S きたりし を、 悉く 近 

H の 武士に 仰せて 誅伐 あり。 其 中に 長 門の 探題 陸. 取、 上野 介 時 ffi 計り は、 別儀 を以 

九州の 探 _m 北條 英^ 誅戮の iss- 11 



旨 武皇後 

下へ 州醐 
す 輪の 天 



, ^0m0 卷之 一 一二 

て 死罪 を 着めら れ遠 流せられ、 越 前國牛 原の 地頭 淡 川 右京亮 時 治 は、 间月 十二 日 牛 

原に 於て 誅 せられ、 名 越 遠 江 守 時 有. 同 修理 亮有 公. 同名 兵 庫 助 A 時 は、 越 中 國小塚 

にて 討 取られぬ。 然るに 此時、 九州の 探題 をば 武籐 修理 亮英時 と 申す。 初め 當今 * 

御叛 反ん,' 思 召し 立ちけ る 時、 九州の 武士 へ も 綸旨を 下されし に、 菊 池 入道 寂 阿, 大友 

人道 具簡. 少貳 入道 妙惠 三人と もに、 皆 勅命に 應じ 彼の 英時を 討たん としけ るに、 大 

友. 少貳は 未だ 事の 安否 を 窺 ひて、 軍を控 へて 打 出です。 翁 池 は 肥 後を發 して 博 多 

へ 攻め來,.^し處に、 少貳: K 友、 却って 探題の 方に なり 相戰 ひし 程に、 菊 池 入道 忽ち 

討死し けり。 然るに 程なく 兩 六波羅 C び、 北條 家の 極 運 次第に 相 見えし かば、 少貳 

も 大友も 己が 科を遁 れむ爲 め、 今 は 又 英時を 詠 伐すべし と、 廻文 を 以て 肥. 筑. 豐の軍 

兵 を 相 催す。 斯か, し 程に、 少貳 方に は 龍 造 寺 又 六郞家 親. 於 保 五郞宗 喜. 高木 伯耆 

守 家 朝. 深 堀 孫 太郎時 通. 间高濱 又 五郞時 綱. 安富 • 深 江恩房 丸. 今 村 孫太郞 入道. 子息 

孫三郎 高弘. 神代. 末 安 3 下、 肥 =1. 筑 後の 御家人 等 馳せ加 はる。 大 友に は 諸方 • 臼杵. 

く; S 開 等 豐後國 の 輩 一 . ^同心して、 五月 廿 五日 探 题英 時が 居た b し 博 多 姪.; g 城 



へ 押 寄せむ とす • 英時は 少« が 心變, ^を 聞いて、 事實 なる かと 疑 ひし かば、 家の 子 

長 岡 六 郞を少 貳が館 へ 差遣し け..^。 長 岡、 太宰府 へ 到り て妙惠 に案內 し、 差 入り て 

見る に、 其 事. 決定と 見え、 新しき 旗 棹なん ど 取 揃へ、 瑪ょ物 具よ と 相犇く 半ばな b。 

事の 體疑ふ べきに あら ざ,. > しかば、 妙惠 入道に 對 面し、 刺 違へ て 死なむ と 思 ひし 處 

に、 妙惠が 長男 武藤左 衞門尉 顯經、 計らす 出合 ひたり。 長 岡 取. あ へ t 正な き 和 君 

の 心變, よと、 拔 きざまに 突きけ る を、 顯經心 早き 者に て、 碁盤の ありし を 取合せ 

請けし かど も、 餘る 刀に て 深手 を 負 ひ 終に 死にけ, cs。 長 阅も當 座に 討 たれぬ。 斯か 

,9し程に、少«.大^^、 幅て 博 多へ 押 寄す。 探題の 方に は宗 像の 大宮司. 原 田 孫四郞 

種貞士 一原 • 秋 月の 一 族相集.^て、城を出で川ょ,9西に相備ふ* 折節 五月雨に 水增し 

て、 寄 手渡 b を 見繕 ひ 少し 猶豫 して あ. > け る處 に、 少貳が 家人 宗十 郞、 一群に 打 入 

れ駆 渡す。 時に 殘ら す相續 いて 向へ 馳上, 5、 採 題 方宗像 大宮司が 先陣に あ. 9 し を 

追 崩す。 採 題の 軍兵、 一戦の 中に 打 負け 引返く。 採 題 英時は 城へ 引 籠り 、防戦 叶 ひ 

難く 終に 自害して 失せに けり。 斯 かりし 程に、 城 中の 兵 或は 腹 を 切り、 或は 落 失せ、 

九州の 探 鱲北條 英^, 戮の事 11 一一 



尊 氏 九州. 

に 下向 



北 肥戰誌 卷之ー 一 3 

忽ち 城 は 灰燼と なる。 寄手にも^^死.手負多く、 少« が 手に は 於 保 四 郎宗喜 疵を蒙 

b け. o。 其 外、 筑. 肥の 武士 54 功多 か,.^ き • 

尊 氏將軍 九州 御 下向の 事 

博 多の 採 題 英時討 たれて 後、 九國. 二 島の 輩、 或は 上洛して 王化に 隨ふも あり • 或は 

在國 して 將 軍の 下知 を 守る も あ..^。 今 は 天下 一統す べきに、 北條 C びて よ. 9 程な 

く、 足 利 尊氏將 軍と 新田 義貞 朝臣 中惡 しくな,. = ^給 ひ、 尊 氏 卿 終に 勅勘せられ、 建武 

三年 丙 寅 正月 晦日、 洛陽 a 河原の 合戦に、 新田 左 中 將に討 負けられ、 洛を 落ちて 二 

月 十二 日 酉の 刻、 攝州兵 庫よ. 9 豊 後の 大 友が 船に 召され、 鎮 西の方へ 下らる。 御供 

に は 御 舍弟左 » 頭直義 を 初め、 足 利 尾 張 守 高經. 同 子息 新 右 衞門尉 氏經. 畠 山上 總介 

Q こ 

國淸. 細 川 阿波 守 和 氏 .ss 弟 源 藏人賴 春 • 同 掃 部助師 氏. 同名 兵 部 大輔顯 氏. 同 卿 公定 

禪. 同 三位 皇海. 同 弟 帯刀 先生 義敢. 今 河三郞 賴貞. 同 四郞賴 兼. 祧并 • 市 川 修理 亮義 盛. 

し: 杉 伊豆守 重 能. 一 色 右 馬 入道々 獻. 仁 木 四 郎次郞 義長. 大島兵 庫頭義 政. 高 三 河守師 



直 .同 尾 張 守師泰 • 同名 璺前 守師久 • 大 高次 郞重 成. 南 遠 江 守宗繼 • 佐 竹 源藏人 氏義. 小 

侯少 輔太郞 入道々 剩. 同 少輔七 郞氏迚 • 糞 我 左 衞門尉 帥祐. 熱 田 大宮司 • 白 石 太郞. 八 

木 岡 五郎、 其 外 九國の 大名に は、 宇都 宮彈 正少弼 氏貞. 島津上 總四郞 氏久. 大友 千世 

极 丸. 千 葉 大隅守 胤 *.武« 孫 三郞殺 賢. 朝日 但. 偽 將監資 直 以下、 同船より 相從 ひ兵寐 

を 出船 ありし 時 は、 其 勢 凡そ 四 五 千餘騎 とも 見えた. ft' しが、 室へ 著 船あって 一 兩 H 

逗留の 中 * 必す 官軍 慕 ふべ しと 詮議せられ、 用心と して 細 川の 一 族 七 人、 W-^M 

張 守 父子. 大島兵 庫 頭. 今 川 兄弟に、 軍兵 を 副へ て 殘し僮 かれし 故、 今 は雜兵 僅か 百 

餘 人に 過ぎす。 斯くて 同》^ハ3、 長 州 赤 間 ケ關に 著 船 あ, .-。 此事隱 なければ, 太宰筑 

後 入道 妙惠、 急ぎ 子息 新 少貳賴 を 名代と して、 將 軍の 御 迎に差 す。 先立て^み 

思 召す の 旨、 御自筆の御敎書を給はりし故な,.^。 賴尙五 百 餘騎を 召 具し、 同廿七 B 

赤 間 ケ關へ 出向 ふ • 時に 妙惠、 錦の 御 直垂ニ 額を兩 御所へ 調進し け 將軍御 兄 

弟 を兩街 所と 申す 

尊 氏將軍 九州 御 下向の 事 IK 



菊!^ の 勤 

王 



北肥戰^?§ 卷之ー でハ 

多 々良 濱合戰 の 事 

肥 後 圃菊池 左 京大 夫 武重は 、元より 宫方 にて、 此頃 在京した りけ るが、 尊 氏 卿、 此度 

九州 へ 落下ら る 由閬 4: けし かば、 急ぎ 本國 へ 人 を 下し、 舍弟婦 部 助 武敏が 方 へ 申 

遣し ける は、 今度^ 氏 兄弟, 筑 紫へ 逃げ 下らる、 由、 其 聞え あ h>。 早速 出向 ひ 一 々 

酋を 刎ね、 歙感 に預る ベ しとい ひ 送 b け, cs。 武敏、 兄が 下知 を 得て 取る 物 も取敢 へ 

t 其 勢 七 千 餘騎、 八 代 を 立ちて 筑後 へ 討って 出で、 高 良 山に 陣を 取り、 將: 來の御 下 

著 を 待 懸けけ..^。 少貳 入道 是を閒 き、 さらば 翁 池 を 討ち 散すべし と、 同廿 八日、 原 田 

次郎と 畦倉豐 前 守 を 先陣と し、 筑 後へ 馳向 ひ、 三 原 三郞と 一 つに な.^、 翁 池が 高 良 

山の 陣へ 寄せむ と議 す。. 菊 池 は 元 艰勇氣 無雙の 者な りし かば、 少貳 入道が 寄來る 

みプき 

由 を 聞いて、 さらば こなたより 逆 寄に 寄せて 戰ふ べしと、 水木の 渡りへ 討ち 出 づ* 

少貳が 先陣 畦 倉 前 守、 寄. 1 の 旗 を 進めて 一 番に 水木の 渡.^ を駔 渡し, 菊 池 勢と 亂 

ふ。 是を 見て 原 田. 三 原も續 いて 川 を 渡し、 吨 倉と 一 つに な, 9 暫く 戰 ひしに、 哇 



水木 合戦 倉. 三 原 田が 兵、 元よ.^ 小勢に て 菊 池に 取 籠め られ、 一 人 も 殘らす 討 たれに け, 9* 

少貳が 者 共 是を救 はむ とし けれども、 川 水深く 船 も あらや、 味方の 眼前に 討た る、 

を 見ながら、 阿容々 々と 引返き、 海士隈 に陣を 取る。 同廿九 =1、 秋:::; 四郞 入道 寂 心 • 

菊 池に 馳加は b 、少贰 が 海 十- 隈の陣 へ 押 寄せ 討ち 破る。 少貳 入道 利 を 失 ひ, 太宰府 

へ 引返き 、己が 館に て戰 はんとし ける 處に、 昧 方に 逆心の 者あって、 城に 火 を 懸けし 

かば、 少1^;カなく有智山の 要害 へ 取 籠る。 菊 池. 秋月續 い て 有智山 へ 押 詰め 攻 め 戰 

ふ。 少貳 入道 一 族、 家人 を 下知し, 城 一 尸 を 固めて 防戦し ける に、 郞從の 三卷新 三郎. 

宗助 五郎. 籐 右馬允 俄に 心 變 りして 敵 を 引 入れし かば、 少貳が 陣中 騒動し、 入道の 

子 越後 守. 尾 張 守、 其 外 宗徒の 一族に、 加 茂 左 近 將監資 道 • 城 又 次 郞經 元. 士 口田 小次郞 

景 村. 武藤 次郞 §_尙. 同 孫 次郞直 元. 同小 次 郞資淸 • 同 筑後次 郞盛秋 • 同 愛 鶴 九 以上 十 

餘人、 同じ 枕に 討死し、 雑兵 五 百 餘人討 たれし かば、 妙 恵 入道 も 今年 六十 五歲 にして、 

腹搔 切って 失せぬ。 入道の 末子に 驟應 とて 僧 あ b しが、 父の 死骸 を 火葬に し、 間に 

Ftofes-str ぷ レ、 ic^ on^ 二 Ks^:^ に hN€: ナ.. =s 。太平^-」 は 禪躐. ^宗應 とわり。 又 有 iw; 

h::5:- ひ 佛搴 をな し 己れ も 同し. 5^ に飛ノ -5 死にけ- 5 智山 討死. ^二-. £ハ 十三 人と 記 マ。 S 

;^々 ー1!3!{濱 合戦の 事 1.?- 



4? 肥 戦 SI 卷之 1 X 

くて 將軍 は、 同月 廿 九日に 赤 間ケ關 よ..^、 又 御船に 召され、 內 海の 行程 一 日に して 明 

くる 晦日、 筑前國 盧屋に 著 船 あり。 出燭の 時分な-.^。 此曉有 智山沒 落して、 妙惠入 

道 を 初め 一 門 悉く 滅. □ しける 由、 早隱 あら ざ.^ しか ども、 新少 贰賴尙 深く是 を 隱§ - 

にす。 今 敗軍の 士卒に 弱氣を :!^ け じとの 思慮なる べし。 翌 くれば 三月 朔 01、 將軍 

御兄弟 蘆 屋を打 立 たれ、 賴尙を 先陣に て宗 像に 到 b 給 ひ、 南 遠 江 守. 曾 我左衞 3: 尉 を 

以て、 當 社の 大宮司 を御賴 みあ. 9 ける に、 氏 重 仔細に 及ば や、 同 3 酉の 刻、. 急ぎ 我が 

館 へ 請 じ 申し 駄餉を 奉り、 御供の 輩 へ も勞を 休め さ せ、 雨 御所 へ 御馬. 鎧 を 調進す • 

新少貳 賴尙は 五十 町 御先 ゑよ のを濱 とい ふ 所に 陣を とる。 然る を 將軍召 寄せられ 

合戰の御評定ぁ,.^。 賴尙 畏まって 申しけ る は、 去る 宰府 軍の 事 は、 某 以下 御 迎に罷 

出で し 故、 父 入道 無勢に 依 b て 打 負け 候歟。 さ b ながら 妙 惠は國 の案內 者に 候へば、 

定めて 其 身に 於て は 仔細 候 まじ。 又 明日の 御 合戦の 事、: 國人等 は必ゃ * 方に 馳參 

る ベ し。 菊 池が 一 勢 計.^ は、 某が 手の者 を 以て 悉く 誅伐 仕る ベ き 事、 案の 中た る 由 

申し 上ぐ。 將軍御 氣色斜 なら や。 斯くて 菊 池 掃 都 助 武敏. 阿蘇 大宮司 惟直. 秋 月 入 



香椎宮 の 

緣起 



道 寂 心 等、 有 智^ を 攻め 落し、 其 勢に 募り 博 多. 箱 崎へ 打 入らむ とす。 此時, 少 1^ の 

一 族 共、 板 付. 諾岡 原に 相 支へ 防ぎ 戰ひ しか ども、 菊 池 勢に 打 負け、 窪 能登彥 四-郎^ 

廣. 同 四郞經 家. 出 雲 又 四 郞能村 以下 討死して 引退く。 菊 池彌! 勝に 乘り, 村々 を 放 

火して 陣を箱 崎 に 進む。 旣に 其吿ぁ b しか ば、 將軍 御兄弟、 三月 二::: 辰の 刻宗像 を 

御 立 あ. o。 行程五六里を過ぎて、未の刻計.oに香椎に到,r^、大明神の鳥}gの前を打 

通られし に、 神官 等、 杉の 枝 を 折 持ちて 來る 中に も、 淨衣 著た る 老翁の 中し ける は、 

當社は 昔 神 功 皇后 新羅 御 征伐あって、 御歸 朝の 砌、 應 * 天皇 を此 所に て 御 誕生 

ましくけるに、忽ち異香驚じ、其邊の椎木まで皆香しかりしょ,.^、則ち椎木を以て 

御 神體に 比し 香 椎宮と 號し舉 りぬ。 又 杉 木 を 以て 神寶と 貴み 申すな.. -。 然 れば此 

度 御 敵 は 條の葉 を 印と 仕る の 間、 味方 は此 杉の 葉 を 御 印と なされ 然るべ しとて 、雨 

御所よ b 初め 軍兵 共の 鐘の 袖に、 皆 杉の 葉 を 差しけ b。 將 軍御悅 ありて、 其 報 答に 

白銀 作の 太刀 を與 へらる • されば 軍 散 じて 後、 彼の 老翁 を 尋問 はれし かど も, 是を 

知る 人な か、 りけ,.^。 神勅 かと 覺 えて 不思議な,.^。 夫よ.^ 赤 坂と いふ 所に 到. -て御 

. 多々 合戦の 事 K 



多々; 良濱 

合戰 



北 肥 戦 ff 一 10 

覽 あるに、 前 は 多々 良濱 とて、 五十町の干瀉ぁ,.^。 南に 小川 流れ、 其 南 は 箱 崎と て 

西方 一 里の 松原な り。 赤 坂と 松原との 間、 砂の 白 さ ST 玉 を 敷け るに 異なら や。 斯く 

て 菊 池 は 其 勢 六 萬 餘騎と 聞え、 秋 月 備前守 械貞. 草 野次 郞大夫 永久. 星 野 黑木問 注 所 

を 先陣に 進ませ、 小川 を 越えて、 化 向に 原 を 後に 當て、 陣を 張る。 敲醉難 

, 麟聽^ ^、わ 一 f 將 軍の 御陣に は、 高 尾 張 守師泰 • 宇都 宫 S 正 少弼氏 ま. 島 津上 總四郞 

氏久 大隅守 胤 卓大友 千世 松 丸、 大手の 先陣 を 蒙..^ て 三百 餘騎、 多々 良濱を 前に 

當て、 南 向に 陣 を 取れば、 新少貳 賴尙は 手勢 五 百 餘騎、 皆 馬より 下, 9 立ち 東 手 を 支 

へたり。 將 軍の 御 勢 都合 千 騎には 過ぎ ざり け 

日の 御 装 東に は、 妙惠入 が 進ら せた b し 赤地の 錦の 直垂 に、 唐 緩緩の 御錯、 御 

太刀 は 御 重代の 大 は.^、 重籐の 弓に 上 矢 を さ 5 る。 御馬 は 黑糟毛 • 昨日宗 像の 大宮 

司が進上申せし駿馬なh^。 源 家相 傳の 小袖と 申せし 御 鎧 は、 熱 田 大宮司 之 を 著る。 

御 舍弟左 馬督の 装束に は、 是も 妙惠が 進ら せた る 赤地の 錦の 直垂 に、 紫 革 紙の 物 具、 

俊 作と いひけ る 重代の 太刀、 重 藤の 弓に 上 矢 を さ.^ れ、 同じく 宗 像が 進ら せた る 栗 



4^ 平, 吒。 大全 11 は、 二 萬 千 八 百 六 AO¥EBL.y、 

同 評 書 に は、 二 萬ス千 人と あり。 將軍 M メ 



毛なる 馬に ぞ 召した, ける • されば 當家戰 場の 御 出立に 樣々 の 秘說ぁ hN。 御先 旭 

賴義將 軍. 義家 朝臣、 奥州 十二 年の 合戰 に、 暗夜 雪中 自ら 手 を 碎き戰 ひ 給 ひし に、 亂 

合 ひの 時 必す過 ある べしと、 淸 原の 武 則が 計ら ひに て、 大將に 七 印と て 七つの 印 を 

付 奉る。 是れ源 家の 武具の 祕說 なれば 容易く 知る 人な し • 今は七っまではなか.^ 

しか ども、 其 例に 任せられ、 荒々 武具に 懸けられけ.. >。 將軍宣 ひける は、 遠 國へ下 

向して 珍しき 敵に 駆 合 はせ、 今 は 最期の 合戰 なる ぞ。 必ゃ 面々 未練の 軍して、 西國 

の 輩に 笑 はれ 候な。 先 づ督殿 一 陣に 進み 給へ。 尊 氏 は 後陣に 控 へて、 合戦の 雌雄 

を 見合せ、 入れ 替 つて 鬪ふ ベ しと 下知 あ,.^ しかば、 直義 朝臣 承,.^ 候と て、 則ち 一 ー引兩 

の 御 旗 を 進め 給 ふ。 太宰少 貳殺尙 は、 黃 綴の 腹卷に 同じ 毛の 妻 取 b たる 袖付けて 

之.^, 著る。 此 袖と 申す は 先祖 武藤小 次郞資 頼、 文治五年奧攻に賴朝<ムょ..^給は.^ 

たる 少 1^ 重代の! S の釉 なり。 甲の 緒 を P め、 小畏刀 を拔き 持ちて 黑 絞なる .i^? に乘 

り, 唯.^ 一 騎兩 御所の 御所 へ 参り て 申しけ る は、 敵 は 大勢と 見えて 候へ ども、 皆國 々 

の假 武者に て 候へば、 竟には * 方に 馳せ 付き 中すべし。 菊 池 計.^ はよ も 三 fS 餘騎 

多々 真 仓 戦の 事 111 



4?« 戦 誌 卷之! さ! 

に は 過ぎ 候 まじ。 賴尙 唯今 御前に て 一命 を 投げな ば、 凶徒 は 忽ち 風前の 麈な るべ 

し。 早 御 旗 をと 進め 申す。 甘: 〈體天 晴とぞ 見えし。 曾 我 左衞門 尉師祐 は、 器量人に 

勝れ。 今度の 下向に も、. 步 にて 一 步も 後れす 御供し ける が、 其 日の出 立に は、 練 貫の 

小袖. の 上に 赤 綴 胴 丸の 菱の 板よ b 切 落されし を 著、 四 尺 餘.^ の大 太刀 二 振 佩いて、 

みだれ ズし 

白木の 弓の 大きなる に 征矢 二三 十亂 差に 取 差し、 甲の 緖を しめ. 直義の 馬の 前に 立 

った..^。 其骨柄、人に變はh^てぞ見ぇし• 御 旗の 下に は 仁 木四郞 次郞義 長、 宗像大 

宫 司が 直義 朝臣へ 進ら せた る 黃滅の 鎧 を 下し 給 は. 9 て是を 著、 栗毛なる 馬に 乗 b 

眞 前に ぞ 進みた る。 雨陣 間近くな りし かば、 菊 池が 先陣の 兵 三 萬 餘騎、 少貳が 支へ 

たる 東の 手 さきよ b 鬨を 作りて 喚きて 懸る。 少 五 百 餘騎、 太鼓 を 早め 射手 を 進め 

て、 一 矢 射 違 ふると 均しく 曈と亂 合 ふ。 折節 北風 烈しく 砂 を 吹 立てし かば、 菊 池が 

勢は黑 煙の 中に ぞ 見えた.^ ける。 時に 直 義の兵 共、 橫 合に 懸, 9 て打戰 ふ。 其 中に 曾 

我 左 衞門尉 は、 敵の 馬に 乘移. 9 押へ て 首を搔 き、 輻 毛なる 馬の 達き を乘 取. o- て. 直 

義朝臣の前へ參..^て分捕見參に入れ、 師祐 こそ 能き 馬 を 得て 候へ。 今 は千骑 にも 



向 ひ 候べ しとて、 又 敵中へ 駆けて 入る • 誠に 其體 一騎 當 千な,..^ • 仁 木 四郞は 元よ 

馬に 乘.. ^たれば • 一 番に 割って入 ちて 多くの 敵 を 切 落し、 血 か はに なりて 打戰 ふ。 

斯くて 直義の 軍、 勝に乘..^大勢の敵を追立て、 松原 を 追 過ぎ、 IS 多の 津 沖の 濱 まで 

攻め付けた-<^。 斯 かる 處に菊 池武敏 、味方の 引く に は 目 を 懸け や、 己が 手勢 三百 餘 

はプれ 

騎取 返し、 火 を 散らし 相戰 ふに、 直義の 軍兵 忽ち 打 負けて、 菘涼內 外^の 迦を 二手 

にな b て 引退く。 直 義も此 時 旣に討 たれ 給 ふかと 見えた る處 に、 少^^;が家人杉原 

平 四 郞と窪 能 登 守 經廣、 直義の 命に 代 b て 討死す。 直 義是を 見 給 ひて、 旗 差 旗 を 能 

くさせと 下知せられ、 後陣の 將軍 へ 御 使 を て 申 遣され ける は、 唯今 某 は 御 命に 代 

b て 討死 仕る ぞ。 將軍は 此陣を 以て 長 門. 周 防の 方へ 押 渡らせ 給 ひ、 御 心 長く せ さ 

かたみ 1 

せ 給 ひて、 御 本意 を 遂げら るべ し • 是を直 義が筐 に御覽 あれと、 錦の 垂の 右の 袖 

を 切って、 將 軍に ぞ 遣され ける。 是を 見て 兵 共、 皆 我先にと 御-か T の 前に 駔墓 る。 菊 

をめ 

池 武敏、 此體を 見、 軍 は 早 打 勝ちぬ るぞ。 懸れ 殿原と 錦の 御 旗を異 前に 飜し、 哆ぃ 

ひた 

て 松原の 北の 迦に 討って 出で、 小川 を 駆け 渡さむ と 打 混す 處に、 E 義の 先陣 肥 前 

多 々真 霜 合戦の 事 



北 肥戦赭 卷之 1 

國千 葉大隅 守. が 旗 差 唯 二人、 月に 星の 旗 を 一 番に 進め、 川へ 颯と 打 入る。 時に 翁 

池が 軍兵、 少し 猶豫 して 見えけ る處 に、 後陣より 將軍、 白旗 を 靡かし、 退く.^ 方 を 引 

立て 鬨を 作って 馳向 はる。 是にカ を 得. 少«賴 尙直義 朝臣に 向って、 時分 は 能く 候 

ぞ。 駆けさせ 給へ と 相 進む。 督殿、元ょh^拔き持たれし太刀を打振b、馬の足を出 

さむと し 給 ふ。 是を 見て 皆 其 命に 代らむ と、 前後に あ b。 中に も義長 • 師祐、 猶具前 

にぞ 進ん: uh^。 少 或 家人 饗場彈 正 左衞門 は, 赤 革の 片 白の 錯を 著、 鴒 毛なる 馬に 乘 

.^、愛こそ殿の討死の所にて候へと、主の賴尙を»し川へ颯と打入れたり。 饗場 • か 

子息、 黑 革の! i を 著、 黑き馬に乘,<^た..^しが、 父に 續 いて 打 渡. y、 敵中 へ 駆け 入 b 散 

散に.? 戰ひ、 父子ともに手を負ひたh^a 是を 見て 少贰を 初め、 山 鹿 次 郞雜 行. 仁 木 

四郞 次郎義 曾 我 左 衞門尉 師祐. 千 葉 大隅守 胤 貞.大 友 • 立 花 次〕 ゆ 負 載. 松 浦 鴨打彥 

六增 以下、 饗場 討た すな。 續け やと 悉く 川 を駔け 渡し、 菊 池と 合戦す。 菊 池" 秋 月, 

阿蘇. 草 野. 星 野. 黑木問 注 所 入 b 亂れ て戰 ひしが、 終に 討 負けて、 城 越 前 守. 赤 星六郞 

兵衞. 八 代 刑 部 丞. 左 森六彌 太. 山形 新 五郎. 岩 野 日向 守. 下田 *1 七 以下 宗徒の 輩、 三十 



菊 他 敗れ 

て筑 後に 

却 



阿蘇 大宮 

司戰死 



七 人 討死し、 大將の 武敏, 痛手 を 蒙 b しかば、 相戰ふ に 事 叶 はす、 筑後國 へ 引退き xii 

木の 城に 取. 籠る。 秋 H« 前 守 は 太宰府まで 落ちた. しが、 ^£-義朝臣の54兵共の , 

頻に慕 ふに 返 八 口 はせ、 一 族廿餘 人、 皆 一 所に て 討死す。 阿蘇の 大 S 司 は、 兄弟 三人 

郞從 二百 人 本國へ 志し、 肥 前 國小城 山 を 越えし 虞に、 千 葉大隅 守が 所領の 鄉民 共、 

雲霞の如く 集りて、 落ん 遁 さじと 取 籠む る。 阿蘇が 兵、 是を 防いで 山上よ. 9 大 石を餘 

多 落し 掛け 、打破り て 通らむ とす。 地下 人、 事と もせ や 、千鳥が けに 石 を 除け 大宮司 

と相戰 ふ。 大宮司が 者 共、 皆鬪 ひ勞れ てければ 百 六十 餘人 矢場に 討 たれ、 大 將大宮 

司八郞 惟直. 同 弟次郞 太夫 惟 成 1^ 巧し 一所に 對死 t 其 弟 惟 澄 も 二 ケ所疵 を 蒙りし 

が、 當の敵 十四 人 切 伏せ, 慕 ふ 者 を 追ひ拂 ひ、 兄の 死骸 を兒 せて 辛々 肥 後へ 歸.^ ぬ • 

斯く て 義 朝臣 は、 少 貳を召 具 せられ ぶんぐ る a を 追々 太宰府 へ; ち 人れ らる。 將 

〔祠 力〕 かしつ 

6^ 尊 氏 卿 は 勝鬨を 執行 ひ、 箱 崎へ 御陣を 召しけ, 9。 愛に 於て 八幡宮の 司 官等 傅き 

申す 事大 方なら や。 尊 氏 卿 仰せられ ける は、 幸に 常 社 は 我が家の 氏神 なれば 社參す 

べし。 但し 奉幣の 義は 合戦の 觸穢 其惯 あ. と、 御行 水あって 箱 崎 八^へ 社參 せら 

多々 真 濱合戰 の 事 : に 



氏 妙惠 

の亡靈 

m ふ 



北 肥 I? 誌 卷之 1 nit 

れ、 廻廊の 前よ b 伏し 拜み給 ひ、 則ち 吉良 殿の 進ら せられし 四 目 結 作の 白太 刀 を + 

奉納 あ. ^御 寄附の 地 あるべし とて" 文章の 爲め 古き 文齊共 を 召されし 中に、 昔鎮 

西 八 郞源爲 朝、 三 事の 爲に、 九州 在國の 時、 當社を信仰し 一 所の地を寄せられける 

其狀ぁ,,^. 尊 氏 卿、 是を 披見せられ、 昔よ. 9 眞に當 家の 守護神た b。 されば 爲朝程 

なく 洛に歸 り、 其 佳 名 を 天下に 顯し、 弓箭の 道に 於て は 又 上越す 者 もな/、、 名譽を 

當 代に 貽 し畢ん ぬ。 尊 氏、 爲 朝が 先例 を模 して、 凶徒 悉く 返 治せし め、 不 H 上洛す 

ベ き 事 疑な しと、 神前に 向 ひ 良 暫く 伏し 拜み給 ふ。 翌 くれば 三月 三日、 太宰府より 

直義 朝臣、 少貳が 一 族 武籐豐 前 次 郞を御 使に て、 昨 曰の 合戰 勝利の, 義を賀 し. & さる。 

拆尊氏 卿 も、 同 曰 午の 刻 太宰府へ 御 陣 を 移され、 原 山の 一 坊に 入らせ 給 ふ。 此時、 妙 

惠 入道が 最期の 振舞 子供 一 族 共が 死樣、 御 心 閑に 尋ね 開 召され 、雨 御前と もに 御愁 

歡淺ら す • 期くて 妙惠が 魂 を 御 HP ひ あり。 彼の 菩提の 爲に、 當國小 田の 郷を以 

て、 安養 院へ 寄附せられ。 又 御 諷誦 を 上げられし- 其 文に いふ。 



敬白 請,, 諷誦, 事 



一康 僧 御布滅 



右 志 者、 妙 惠禪定 門 幽霊、 建武 第三 仲呂晦 =:、 依 兵, 相-代 赏氏, 令,, 夭 因 

,玆 弟子 毎 億,, 彼 恩, 思,, 其 志; 所, 拭- 哀淚, 催 &。 就 ー幽靈 平生 之 時、 有-契約ず • 

然 間、 迎,, 初七日 之 忌 辰, 所, 鳴-三 箇之逸 韻, 也。 加乏、爲..每曰佛料所,寄,,永代^5食 一 

村, 畢。 然 者驢靈 酬-此 追修, 證,, 九 品之果 位; 可, 救,, 六 趣 之 類; 仍 諷誦 所 fe! 如 

建武 三年 三月 六日 弟子 源 朝臣 尊 氏 

i ぞ 書かれけ る • 



北 肥 戰誌卷 之 一 終 

多々 茛濱 合戦の 事 二ぬ 



北 肥戰誌 卷之ー 一一 八 . 

匕 巴 志 き .Kjl . 

菊 池 攻弁將 軍 御 歸洛の 事 

斯く て 尊 氏 公、 太宰府 へ 御 陣を居 ゑら れ、 御 敵 御 返 治の 評定^々 な, 9。 中に も少貳 

賴尙を 御前へ 召され、 九 國の侍 共 を 招かれけ るに、 我れ 先にと 馳せ參 る。 將軍、 さ 

らば 先 づ菊池 掃 部 助武敏 が、 筑 後國黑 木の 城に あ b ける を 攻めら る べしと、 同 三月 

十三 日、 上野 左- ii? 助賴 * を大將 にて、 軍兵 を 差 向けら る。 同 十七 日、 筑後國 人 末 

安 又 三 郞兼親 以下、 上野に 馳加 は, 9 黑 木に 押 寄す, 菊 池 防 戰叶ひ 難く、 當城を 去 

て 豊後國 へ 引返き、 玖珠の 城に 入る。 然る 間、 同廿 三日、 一 色右馬入道々獻•6^次豊 

前 太郞賴 時. 同名 四郎 入道 を豐後 へ 差 向けら る。 . 此 勢坎珠 へ 發 向して、 三日三夜 攻 

め戰 ふ。 時に肥前國三浦深堀孫太入道が 一 族,^^獻に屬して戰功ぁ,.^。 菊 池, 愛 を 



菊 池 敗軍 一 も沒 落し、 一色 以下、 太宰府へ 歸 りぬ* 將軍 重ねて 仁木義 を大將 にて 、神代. 高木. 

极浦黨 を 肥後國 へ 差 向けられ、 菊 池が 居城 を 攻めさ せらる。 此勢 一 萬 五 千 餘騎, 旣 

に 筑後を 歷て肥 後へ 討って 入る。 時に 菊 池 左 京大 夫武重 は、 未だ 在京して 國に居 

らゃ。 弟武敏 は他國 にあ hs。 其 一 方 を も 防ぐべき 阿蘇 大宮司 惟 澄 は、 小國の 城に 

あ しか ども、 先日 多々 良 濱の引 足に 深手 を 負 ひ、 甲斐々々 しき 下知 叶 はす、 一 ほ 

一 日戰 ひて 腹搔 切り 死す。 菊 池が 留守の 輩、 力 を 落し、 武 重が 幼息武 光が 今年 九 歳に 

な, し を 具して、 男女 悉く 山林に 逃 隱れ、 家人 內河彥 五郎、 總五 W 騎を 以て、 八 代の 

城に 楣籠 b ぬ 。 仁 木. 神代. 高木 .fe 浦 押 寄せて 攻め 戰 ふに、 內河も 身命 を 捨て- -之を 

防ぐ。 斯かる處に、*方にてぁ,oける薩州の島津•俅佐左京進宗久心變.^して、寄手 

に 加 は, 5 しかば、 內河 防ぐ に 力 や;^ き、 一 方 を 討ち 破 b て 行方 を 知らす、 十日 計. >に 

落城し、 四十 日の 中に 肥 後 國靜諡 す。 斯くて 將軍 所々 の 軍に 討ち 勝ち 給 ひ、 九州の 

兵馳 付き 申す 事、 引 も 切らす。 御 勢 雲霞の如く、 太宰府に 充満し けり。 » 御 上洛に 於 

て は、 兵糧の 爲め秋 を 待 たれて 然るべき か。 又 諸國の * 方の 力 を 落さぬ 前に、 上洛 

菊 池 攻井將 軍 I 歸洛の 事 II ル 



4 



* 肥 戦 誌 卷之ニ き 

を 急がるべき かと、 詮議 區々 な.^ ける 處に、 備前國 三 石 城に 殘し 撒かれし^ 張 新 右 

衞門 尉と、 播 磨の 赤松 入道が 許よ,^、 急ぎ 御 上洛 あるべき 由、 得卒 因幡 守 を 以て 言 

上せし かば、 さらば 頓て 上洛 せらる べしと 御 議定 あ.^ • 豫 ねて 又 諸 寺 • 諸 社へ 御 運 

を 開かれむ がた め 其 御祈禱 あ,^ • 肥 前 國甲手 東 妙 寺の 長老へ 給 は,^ し 尊 氏 朝臣の 

御 書に いふ、 

祈禱 事、 今度 之 義兵 早速 ま, 本意; 將亦 天下 太平、 子孫 繁榮 武運 長久、 之 所 JHVac 精 

鉞, 之狀 如, 件 • 

建武 三年 三月 十三 01 在 判 

東 妙 寺 長老 

旣に將 軍 御 上洛の 事 決定し あ b しかば、 一 色右瑪 入道 道 獻を鎭 西の 總 管領と し、 佐 

竹 源 藏人氏 義を侍 所と 定められ、 小俣少 輔太郞 入道 道剩を 以て 監代 とし、 仁 木四郞 

次 郞義長 二 色 上野 左 馬 助 賴兼雨 人 を、 大將 軍と 定められ、 核 浦 黨其外 國人等 を 差 

副 へ られ、 筑前國 娃濱の 爐に殘 置かれ、 肥前國 にも 錢部. 千 栗に 兩城を 構へ て、 軍兵 



を 入 置き、 所々 &宫方 を 押 へられ、 四月 三日に 尊 氏 卿 .K 義 朝臣、 太宰府 を進發 あれ 

ば、 九 國の大 友 • 少貳. 千 葉. 宇都 宮は、 ffi 多の 津ょ, 9 纜を 解き、 雨 御所 は 長 門の 府中 

に 少時 逗留 まし/ \當 所よ,.^ 御乘船 あ. 9。 御船の 船頭 は 赤 間 ケ關の 孫 七 • 是は元 

暦の 昔、. S 判官 義經の 壇 浦の 合戦に 乘られ し、 當國櫛 崎の 船 十二 艘の 船頭の 子孫 

な. 9。 吉例なh^とて、當座に右京允に召成され、將ssl.御兄弟甚だ御悅ぁ,.^けh^。 守 

護人 厚東 入道が 計ら ひ 申せし 處 なり。 五月 五日の 夕に、 備 後の 辆に著 船 あ,..^。 爱に 

て 評定 を 加 へられ、 將軍は 御船、 ^5^朝臣は陸地ょり海陸と御分れぁ..-て、同月十 

日、 一同に 鞘 を 御 立ち 攻め 登, 9 給 ふ。 少貳 殺尙は 一 族 家人 を 引率し、 其 勢 二 千 餘騎、 

^&*朝臣の先陣を申し給は..>陸を打っ。 . 斯くて 海陸の 大勢、 同月 廿五 =1 の晨、 攝州 

兵 庫 和 田の 御 に著陣 し、 官軍の 大將 新田 左 中 將義貞 • 楠河內 判官 正 成と 相戰 ふ。 

此時 少貳は 溶の 手へ 向って 進みし に、 一 族の 中 武藤對 iiil 小 次郞. 同 ® 前 次郞、 ともに 

若武者な b- ける が、 ニ騎眞 前に 乗 出し、 敵 味方の 目 を 驚かし 勝负を 決す。 對; jij 小 次 

郞は、 川原 毛の 馬に 黄 糸の 鐘 を 著た.^。 豊 前次郞 は、 黑き « に幌 掛けた..^。 丘と 船と 

菊、 € 攻井將 軍御歸 格の 事 S 



官軍 敗北 



死 



北 肥 戦? I 卷之ニ き 一 

の 間、 僅に 一町 計. 9 にて、 棧敷 前の 見物な,.^ • 又 宗刑部 大輔賴 茂 も、 和 田 御崎, に 敵 

陣を 駆け 破り、 千 葉大隅 守亂貞 軍忠を 油んで、 各; 將 軍の 御 感に預 りぬ。 然るに 官軍 

終に 利 を 失 ひ、 楠 判官 討死し、 新田 殿 は 敗北 あ,..^。 將軍頓 て 入洛 ましく ぬ。 斯く 

て少貳 は、 都鄙の 戰功 莫大な しかば、 同 九月 下旬、 歸國の 御 暇 申せし に、 將軍御 兄 

弟御 氣色斜 なら や、 上 御所 § ^よ b は、 頼尙を 御前に 召され、 錦の 直 垂に御 盃を添 

へて下し給は,..^、下御所§lg。ょh^は、御祕藏の黃河原毛の御馬を給は,9、兄弟筑前 

へ歸國 す。 是ょ, 9 九州 大に 亂れ、 1 日 も 未だ 靜 ならす。 



世 良 親王 八 代 へ 御 下向 所 々軍の 事 



尊 氏 卿、 ^^紫の軍に討ち勝ち給ひ, 宫方カ を 失 ふの 由、 帝都 へ 聞え、 * 池 左 京大 夫武 

重, 我が 國の事 心 元な, -思 ひて、 其 旨 新田 殿 を 以て 奏聞 を 遂げし かば、 則ち 御 暇 を 

^は ぬ。 武 重さら ば; ぎ 下るべし と、 禁裏の 守護に は 伯父 肥 前 守武幸 • 猶子 次 

郞武季 に、 一族 十二 人. 家人 五 百 餘騎を 差 副へ て、 新田 殿に 預 置き、 其 身 は 五 千餘人 



を 具し、 尼 ケ崎. よ 船に 乗...^、 夜 を 日に 繼 ぎて 本國肥 後へ 下着し、 先 づ少贰 六 郞が當 

國の 守護 職 を、 將 軍より 給 はって 府 にあ ける を、 不日に 追 落し、 菊 池の 本 城へ 大 

友の 一族 吉弘 日向 守 を 入 置かれし も、 一 日の 中に 攻め 落して • 日向 守が 首を切..^ 褂 

け、 失よ.. > 島 津左京 進久淸 § ,が 八 代の 城に ありけ る を も、 亦 一 戦の 中に 追 落し、 

國中を 押す に 手に 立つ 者 あらや。 斯か. しかば、 肥 後 國十餘 日の 中に 武 重に 歸伏 

して 大勢と 成, 筑後國 へ 討ち 出で ける に、 將軍は 早 御 上洛 あ h- しかば、 千年 川 を 

隔て、 陣を 取. 9、 少貳. 大 友が 者 共 仁 木 右馬助 |g 。次 郞義長 以下の 武家 方と 相 戦 ふ。 

是を 聞きて * 池 掃 部 助武敏 も、 同じき 建武 三年 丙 子 七月に、 筑後國 に 蜂起して、 兄 

武 重に 力 を 合す。 斯 か, 9 し 程に、 仁木義 長、 筑 後に 在 陣し、 太 宰筑後 守 賴泰と 勢 を 

1 つに して、 菊池武敏が陣取.^たる豊福原へ押寄せ相戰ふ。 時に 肥へ 则國の 御家人 

龍 造 寺 又 六 入道 條 善が 一 族 等、 仁 木に 馳せ加 は,.^ て 軍功 あり。 菊 池 勝に 乘 h 、義 長. 

賴泰 引退く。 同 八月 、一色 入道々 獻. 仁 木 右 1? 助. 筑後國 の 者 共 相 集りて 勢 を 合せ、 同 

國生葉 郡 阿 彌陀ケ 峯の宫 方と 合戦す。 此時、 仁 木が 從 軍に 安富 深 江 民 部丞泰 重、 大 

世 K 現 王 ハ 代へ 御ド向 W 々 軍の 寧 登 



北 肥戰誌 卷之ニ 

手の 城 に 押 寄せ 戦功 を抽 んづ。 同 晦日、 一 色 入道. 仁 木 右馬助 • 又豊福 原へ 押 寄せ 

i お 池と 挑戦す るに 、離 雄兩陣 にあ b て 勝負な し。 時に 大村平 太 入道 妙 意 後藤 辻 五 

郞次 郞貞明 • 有 馬 五郎 成 澄. 深 江 民 部 丞泰重 二 女 德小太 郞成重 • 深 江 三 郞五郞 時廣. 奈 

良田 次郞 入道 辨 西. 尻 田 孫太郞 入道々 意 以下、 一色. 仁 木が 手に 馬して 相 戦 ふ。 口口 

□ □ 口 頃 0:、 平 の 松 肥 前 守桌、 京都 を 去.. > て 在所へ 下る。 此者 は嵯蛾 天皇の 苗 

裔 にて、 渡 邊丹波 守 綱に は 十一 代の 孫な り。 當時 勅命に 應 じて 在京せ しと ぞ え 

し。 此時、 一色 入道よ.^ 小 侯 入道へ 下知せ し 書に いふ、 

松 浦 肥 前守貞 、落,, 下 鎖 B:, 之 由 有-其 聞; 早 相- 觸國々 軍勢 等; 可 Jt- 伐 之, 之狀如 J:。 、 

七月 廿 九日 沙彌在 判 

少 輔太郞 入道 殿 

翌くる建武四年丁?^-の三月、南帝第六宮世良親王、 征西將 軍の 號を賜 はりて, 肥 後 

國八代 へ 御 下向 あ..^。 是は菊 池 左 京大 夫武 重が 九州の 宮方共 へ 力 を 付けむ 爲め、 豫 

ねて 芳 野の 皇居へ 奏して、 深く 願 ひ 奉る に 依ってな h^。 御供の 公卿に は、 洞 院の大 



納言•^^^a の中納言.北畠源中納言.花山院少將. 竹林 院中將 ,坊城 三位. 高 辻 三位 野 

左 大辨. 土 御門 左少辨 .北蔓 二位 中將. 葉 室左衞 門督. 中院 侍從. 九 條大外 記 .同 主 水 正。 

新田の 一 族に は、 山 名播磨 守, 岩 松 相模守 • 桃 井 右京亮 • 世 良田 大膳大 夫 • 田 巾彈: 止少 

弼. 江 田 丹 後 守. 堀 口 孫 三郎. 里 見新藏 人. 一 井 又 三 郞* 鳥 山 左 衞門佐 •大<TS 兵 * ゆ 堤 5^ 

內 少輔. 岩 松 左 助. 名 和伯耆 判官 .同 次 郎* 同 修理 亮. 宇都 宮三河 守. 加 藤大夫 判官 • 結 

城 右馬助, 熊 谷 民 部大夫 以下 八 代へ 下 S あ.^。 欺か.^ しかば、 鄉 池の 一 門 はいふに 

及ばす、 宮 方の 輩 限な く悅び • 急ぎ新造に御所を飾ひ入れ舉..^、是を守護す。 今月 六 

日、 新田 義負 以下 宮 方の 籠,. > し #1 國金ケ 崎の 城沒 落の m 、管領の 方へ 御 敎書來 る" 

此 事に 依 b て、 一 色 入道よ b 肥- 筑. 豐の 武家 方 共へ 觸 廻し ぬる 書に いふ。 

越前國 金ケ崎 M 凶徒, 今月 六 R 卯 時- 義貞 以下 悉加 伐, 燒,, 拂 城郭, 由 i$ 、:! ^七:" 御 

敎書 今日 到來、 案文 遺つ V 可, 被お =甚11:; 仍執達 如, 件。 

建 武四年 三月 廿 W 沙彌 

深 堀 孫太郞 入道 殿 の 

设哀親 rH ス 代へ, 5 下. E 所 々軍の • 



北 肥戰篛 卷之ニ さ 

、 末 安土 之 丸 殿 I 规 15? の 

同 五 年^ |1 一一 年 戊 寅 正月、 菊 池 左 京大 夫武 重、 一 萬 餘崎を 引率し、 八 代 を 立ちて 筑 後に 

來 り、 同名 掃 部 助武敏 が在陣 せし に參會 し、 其 勢 を 合せて 石垣 山 鷹 取 城 へ 循 籠る。 

一 色 入道 是を 聞いて, さらば 彼等 を 退治す ベ しと、 姪の 濱の城 を 出で 筑後國 へ 發向 

し、 先 づ瀨高 庄に陣 を 取 b 、筑 前. 肥 前 兩國の 勢 を 以て、 三月 三日 石垣 山の 城を攻 む" 

され ども 菊 池 落城せ や。 時に 管領の 勢の 中に、 松 浦 等 多く 討死す。 同 十四日、 道獻 

下知 を 加へ、 今 河 藏人大 夫賴貞 .1^ 雌 ■ 。源 小 侯太郞 入道々 剩を 以て、 高 尾 山の 敵を攻 

めさす る。 此時も 亦 掛浦黨 の 中に、 壹岐の 石 丸 彌五郞 近 • 同 野 田 五郎 安 以下 百 五十 

尉 人 たれて、 寄 手 叶 はす 引返く。 時に 討死. 手 負の 交 名 を 記し、 管領へ 披露す。 其狀 

にい ふ、 

1 、注進 

建 武五年 三月、 於,, 筑後國 石垣 山, 菊 池武重 以下 凶徒 合戦 之 時, 松 浦 一 黨等 討死 手 

負 分捕 幷 1^ 合 戰交名 之 事、 



、飯 田彥次 郞定、 I。 

飯 田 良-;^ ^0 

、宇久 it 場七郞 勇、 |„ 

、同 中間 左 近 太郞、 I。 

、赤 木 堤 逢 六昵、 I。 



1 、得 富彥七 家政、 I。 

1 、西 浦 源次郞 持、 

1、河崎五郞ロ;|。 

一 、巖本 A 郞守 f 。 

1 、菖蒲 隈本 五郎、 I 



、隈 辻十郞 入道 覺乘代 子息 八郞 長、 I。 

、長 田 又 次郞、 I ま。 股に 一 、赤 木 又次郞 入道 源榮、 



「侯 力〕 



、鴨 打 二 殿 彌五郞 階、 §。 一 、鴨 打 彥六增 、麵 

以下 略, 之 



總合貳 百 五十 四 人 

百五ャ 人之內 



一、 中: S.S ョ郞. 麵; i で 

1、 寒 水井彥 次郞、 1。 

一 、同 旗 指 五郎四郎、 g;;^ 则. 

1 、得 未 又 太郞、 I。 

1、 常 葉 左衞門 次郞重 高、 I。 

一、 波 多 渡 五郎 長、 I。 

一、 大 塚三郞 fiiQ 口 

1 、 鴨 打 石 田 彥三郎 |§ 。先に 



百 五十人 之內 



ー^^>^^^—&£6=^.1..^、此人はーーー3ん"戰の後 拳ー今 一、 feild 支 6 も €u;3$£、,。 .M 

今年の 春、 宫方 一 方の 大將 北お £ 源 中 納言顯 家、 美 濃國に 於て 高. 佐々 木. 細 川 3 下と 

合戰 あり。 討死 せらる、, 5 、二月. 三日の 御 敎書幷 に 太宰府の 施行 到來に 依りて、 1 

世 W 親王 八 代へ 御 下向 所々 軍の 亭 おせ 



一 色 入道 

高 ー艮山 U 

陣. r- 



北 肥戰? I 卷之ニ ち 八 

色 入道より 武家 方の 輩 へ 觸れ 送.^ し 書に い ふ、 

陸 奧前國 司 以下 凶徒、 於,, 下津赤 坂, 被 伐-由 之 事、 今月 三 ョ御敎 書 御 瑪仃如 

fer 可 kj?,- 其 意, 候" 執 〔f 脫〕 如祥。 

建 武五年 二月せ 五日 沙彌在 判 

今 村 孫 三 郞殿舰 fl 规鳩 I:。 

同 九月、 豊 後の 大友刑 部 大輔氏 時、 筑 後へ *.H 咼良 山に 陣を 取り、 翁 池武重 以下 宮 

方 共の 籠.. > たる 生 葉 郡 妙 見 城 居 を 攻めむ とす。 菊 池是を 聞き、 其 不意 を 討つ 

べしと、 高 良 山へ 取 懸けて 大 友と 相戰 ふ- 大友利 を 失 ひ、 竹 井木 庄へ 引退く。 此 

時旣に 討た るべ か. > し を、 一 族の 1 戸次 兵 部少輔 氏季と 新開 宫內 少輔 蹈み留 h ノ、 氏 時 

に 代 b て 討死す。 斯くて 菊 池 は, 筑後國 所々 の 軍に 打 勝ちて 肥 後へ 歸國 す。 斯か 

b し 程に、 管領 一色 入道、 頓て筑 後 へ 打 越え 高 良 山 に 陣を 取 る。 

同 十 :!!: 初旬、 一 色 入道 其 身 は 高 良 山に 在陣 し、 佐 竹 源 藏人氏 義を肥 後へ 差 向く。 佐 

竹 今月 二日、 筑後を 立ちて、 同 七日 八 代へ 討ち入り、 宮の 御所 を 圍み攻 む。 され ど 



も 軍 利 あらやして 引返す。 此時石 動 彥三郞 資^が 申狀 にい ふ、 

爲,, 菊 池武重 以下 凶徒 誅伐; 大將軍 依-御 發-- 向筑後 譏; 肥前國 御家人 石 動 彥三郞 、最 

前馳, -參 M 高 御 在お^,〕 之 間、 致,, 宿!^ -瞢- 固 之; 剩爲 治 菊 池 城; 去 二 H 就, 被き, 遣 

佐 竹源藏 人- 屬 彼 手; 迄,, 同 十五 日 差 11^ 之 期 一致- 警 固-候 訖" 次 高 良 山 御座 同 御歸陣 

之 間、 御供 仕 候 了。 以,, 此 旨-可お-御 披露-候。 恐惶 謹言。 

建 武五年 十 一月 一日 菅原 » 成 

進上 御 奉行所 

翌 くる 暦 應ニ年 己 卯 正月 十九 日、 翁 池 八郎. 宇 土 三 郞-惠 良 小 次郞、 筑後國 へ 出張し 

て、 武家の 管領と!^ はむ とす。 頃 H 一 色 入道 は、 高 良 山の 陣を拂 つて 筑 前へ 歸 おし 

監に小 侯 人道 筑後 にあり。 彼の 敵と戦 ふ ベ きた め、 當國の 守護 代幷に 士卒 等、 其 外 

肥 前 1: 基肆ま 父. 三 根. 神 崎 四 郡の 兵 を 相 催し • 所々 に 於て 合戦す。 此時、 石 勸彥三 

郞. 山 浦の 定患坊 • 原 口 十 郎三郞 等、 武家お 背きて 宮方 となる。 所領に 就いて 恨 ある 

欲な.^。 則ち 山 浦 * 原 口が 跡 を 以て ノ深 堀が 一 族 高木 三郞 五郎 時 廣に^ ふ。 此時九 

圍 gftiHi!^ 代へ 御 下向 所々 軍の 事 .0 



r. 宮 わの 武士 九 

家 M か ニ家宮 'W 

方 る 派 方 力の 

I ことと St 



北肥戰 卷之ニ S 

相 力〕 

州の 武士、 宫 方. 武家 方と 分れて^ 戰ふ。 其雙 方の 輩 を 凡 記す るに, 宫 方に は 光べ 肥 

後の 菊 池 はいふに 及ばす、 城. 赤 星. 加屋. 鹿 子 木. 隈 部. 宇 土. 阿蘇 大宮司. 八 代. 合 志. 河 

E 三郞. 小 代 太郞。 薩摩 H に は島津 一族に、 和ま 丽^ 千 樺 山 兵 部 少輔. 町 田 又 三 

郞. 北鄕 伊豆守、 其 外 漉 谷. 谷 山。 大 隅に 牛 日向 阈に土 持. 齋 所. 庄. 高山。 筑 後に 

松 田. 溝 口. 草 野次 郞大夫 永久. 星 野 孫 六. 黑木 大膳大 夫. 西 牟田彌 次郞. 諸 富 平 三. 南 條* 

蒲 池. 深澤。 肥 前 國に松 浦: 牛 肥 前 守貞. 藤津 太郎. 後藤 又次郞 光明. 多 比 良. 神代 ん予 

木. 西鄕、 其 外汜々 の 輩 は 記す に 限な し。 又 武家 方へ 從ふ 者に は、 筑 前に 少貳の 一 族 は 

申す に 及ば や、 宗像 大宮司 氏 重 原 田 孫 四 郞種貞 • 三 原 三郞. 山 鹿次郞 .漉 谷下總 守。 對 

馬に 宗刑部 ー賴 茂。 壹岐に 日 高。 肥 前 國に千 葉 刑 部大輔 胤泰. 上 松 浦の 波 多. 鴨 打. 

佐 志. 神 田. 草野豊 前守秀 永、 下 51 浦の 极浦丹 後 守 今富彥 三郞. 伊佐 早次郞 入道. 開 

田 佐 渡 次郞. 签閑民 部 入道. 彼 杵大村 太郞家 K. 後藤 六 郎朝明 • 同 掃 部允經 明. 同 辻 五 

郞次郎 貞明. 橘 薩摩守 彌次郞 公經. 有 馬查五 郞久道 連惠. 安富 深 江 民 部丞泰 重. 同 岩 崎 

孫 三郞泰 治. 深 堀 高木 三 郞五郞 時 廣* 同 高 濱又五 郞淸綱 • 松 浦 伊 萬 里彌次 郎充. 同志 



佐 左 近將監 有. 同庄山 又次郞 • A 石.? 郞 入道 丄 木 伯 耆太郞 家 直 • 緩 部 四 郞次郞 幸鄕. 

今衬孫三郞高弘*龍造寺孫六郞家種.多久小太郞宗國._梅渡諸王丸*^8里源次§家有. 

於 保 五 郞宗喜 • 成 极兵庫 助 章景. 青木 源 四 郞義勝 • 阿 自岐孫 四 郞能康 • 山 田 孫 四郞重 

村. 後藤. 中 野 五郎 明. 橘 薩摩彌 五郞玆 雄。 筑 後に 武藤. 引地 新 左衞門 高經. 酒 見 虎 熊 丸. 

末 安 十々 丸。 粤; 前に 城 井. 長 野。 豐 後に 大 友の 一 族、 其 外 臼 杵美作 守. 佐 伯 山城 三 郞. 

加來彌 四郞. 朽網 六郞. 新開. 齋 藤. 丹 下. 宇留島 • 宇佐の 一 族。 薩摩國 に 島 津總領 上,!! 

入道々 監が. f 供 上 緞三郎 師久. 同 四 郞氏久 .從 弟島津 下野 守忠親 • 日向に 伊東 大和 守 

祐 、此の 外 末々 の 輩 は 記す に 及ばす。 

暦應四 年辛已 に、 宫 方又筑 後の 生 葉に 討ち 出づ。 時に 肥 前 國西尻 田 孫 太 郎軍忠 あ 

5 武家 方に 屬す。 

翌く る康永 元年 壬 午 四月 中旬, 宫方 菊池對 馬守武 茂. 同 肥 後 五郎 武敎. 大城七 郞貞資 

以下 蜂起して、 中院侍從を大將として筑後へ來..^、 竹 井の 城に 循 籠る" 玆に 因.^ 

て 管領 一色 入道, 五月 一 S 、竹 井に 押 寄せ 之 を攻む • 七月 二日 落城す。 中院殿 .i- 池 

世 一良 親王 八 代へ 御 下向 所々 軍の 事 S 一 



北 肥戰誌 卷之ニ ! 111 . 

以下 風雨に 紛れ 出奔 せらる。 

康永 三年 甲 申 三月、 大友刑 部 大輔氏 時の 弟 近 江 次郎負 順、 一 族に 離れ 宫方 とな hs、 

筑 後生 葉の 城に 旗を揚 ぐ。 一色 人道 馳せ向 ひて 之を攻 む。 六月 半 落城。 同年の 秋、 

宫方又 生 葉に 蜂起す。 一 色 重ねて 發 向し、 九月 初旬. 同月 廿日 .廿 一 日、 牛 鳴 山. 阿彌 

陀 ケ峯. 芋 河 城、 其 外 所々 に 於て 合戦、 宮方返 散す。 同 十月 又 蜂起す。 

翌 くる 貞和 元年 乙 酉 一 一 月、 菊 池 掃 部 助武敏 • 同名 對馬 守武茂 • 名 和 伯耆守 長生. 堀 口 

〔相 力〕 

孫 三 郞桌直 • 宇都 宮三河 守貞泰 以下の 宮方、 筑後國 へ 又 現 形し、 一 色 入道と ぉ戰 ふ。 

今年 薩 州に 於て、 島津の 一 族に 牝鄕. 町 田. 和 泉. 樺 山、 宮方 にあって 旗 を 揚げ、 平 佐の 

河 內に城 を 構 へ 、 總領の 島 津陸奧 守氏久 と合戰 す。 菊 池 武重是 を 聞きて、 北鄕. 町 田 

を援 はむ 爲め、 肥 後 國を發 す。 北鄕 伊豆守、 菊 池 を 迎へ其 勢 を 合せ、 猶 籠城して 島 

津 と相戰 ふ。 

貞和四 年 戊 子、 一 色宮內 少輔直 氏、 將 軍の 命 を 蒙りて 博 多へ 下向す • 同名 入道々 獻 

に 合力の 爲に差 下さる 所な り。 直 氏 下 著して、 四月 十六 日 軍兵 を 率し、 筑 後へ 發 



向して 三 池に 於て、 宫 方の 輩と 相戰 ひしが、 利 を 得 や 博 多へ 歸る。 斯か b し 程に、 

敵續 いて 博 多へ 攻め 來る由 風聞 あ b。 玆に因..^て同十九日、直氏廻文を以て、武家 

方の 諸 士を相 催し、 彼の 敵 を 防がむ とす。 

同年 十月 十九 日、 直 氏 勢 を 率し、 肥後國 南の 郡の 宮方返 治と して 發 向す。 時に 肥 前 

國の 御家人 深 堀三郞 五郎 以下 早速 參陣 す。 

足 利 右兵衞 佐 道 冬西國 下り 所々 軍の 事 

處和五 年 己! 4f 足 利 右兵衞 佐 直冬鎭 西へ 下向 せらる。 此 人は將 軍の 御 長男な り。 然 

れども當腹の御子息にぁらすして、繼母の讒にょ,.^父子義絕ぁって、 洛の 住居 もな 

b 難く、 頃日 は 中國に 徘徊 せられし を、 高武 藏守師 直、 母上と 談合し 殺し 申すべき 

由 間え しに 付き、 中 國をも 出奔 あ,. y。 九月 十三 日、 肥 後國へ 入られし 處 に、; _ は 問別當 

太郞守 直. 河 尻 肥 後 守 幸 俊、 是を 馳走 申し、 近隣の 者 共 多く 從ひ 奉,.^ しかば、 右兵衞 

佐 殿" 頓て詫 間. 河 a を 以て 宇都 宮 大和 守; &將 軍の 監代 にて 居た し を、 不日に 追 落 

足 利 右兵衞 佐 直 冬 西 國下リ 所々 軍め 事 S1 ュ , 



三佐 方の 九 

に IB 武武州 
分 > &家士 二 
るの 方宮島 



北 肥戰誌 卷之ニ S 

され。 夫よ b 其 威 次第に 輝き、 太 宰の少 贰賴尙 が壻に なられ、 同月 下旬 太宰府へ 入 

,r^來らる。 さても 彼の 賴尙 は、 將軍 へ 對 して 小犬の 忠臣な..^ しに、 何す れぞ今 不孝 

か しづ いばれ 

の 名 を 立て、 父子 義絕 ありし 此直冬 を、 壻には 取.^ て 傅き 申しけ るかと、 其 謂を尋 

ね 聞く に、 將軍 先年、 九州 へ 沈 落 あ.. -し 時、 少貳 一 家の 者共大 忠を盡 し、 目 出た く 御 

歸洛 ましく ぬ。 然るに 其 御 跡へ、 一色 入道 を 管領と して 殘 置かれし 處に、 此 入道 

軍忠に 募. 、少貳 の 一 門 を 一向な きが 如く 振舞 ひける を、 賴尙 兼ねて 遺恨に 思 ひし 

かど も、 腹 を 押へ て堪 へし 折節、 佐 殿の 下向 あ. し 程に、 彼のん を 壻に取 なば、 父 

子義絕 せし 人と はい ひながら、 正しく 將 軍の 御子 なれば、 近國の 武士 從屬 申すべし。 

さらば 其 威 を, 借りて、 一色 入道に 思 ひ 知らせば やと 思案せ しと ぞ聞 えし。 然るに 

右 衞門佐 殿の 威勢 彌,^ 强く、 旣に 大勢と なら る。 是ょ..^九州一 一島の 武士、 宫方. 武家 

方. 佐 殿方と 三つに 分れて 相 戦 ふ。 翌 くる 觀應 元年 庚 寅の 春、 直 冬 朝臣 西 肥 前を征 

せむ と杵島 郡へ 討ち入らる。 稼 崎の 地頭 後藤 兵 庫 允 光明、 一族 を 率して 相從 ひ、 三 

月廿 三日、 橘 薩擊彌 次 郞公經 が 盥見城 を 攻めら る。 此時ー 色 入道 も、 當 郡の 敵 返 



直 冬小メ 5^ 

賴尙の 培 

となる 



所々 の 合 

戦 



治と して 發向 しける に、 塚 崎の 後藤 掃 部允經 明. 須 古の 白石彌 次 郞. 精 岳の 藤 津藤太 

郞, 最前に 城 を 去って 道獻に 降参す。 然るに 三月 下旬、 道 獻と直 冬 朝臣、 宮裙 原に 

〔相 力〕 

於て^ 戦 はれ、 四月 七日 同所に て 又 合戦し、 道 獻軍利 あらす して、 松 浦に 到りて 陣 

を 取る • 同 五月 直 冬 朝臣、 筑後國 の宮方 退治と して、 少!!^賴尙を大將にて軍兵を差 

向けら る。 時に 肥 前國の 御家人 等、 直 冬に 隨ふ 輩に は、 松 浦に 伊 萬 里 武末九 郞兵衞 

授、 杵 島に 後藤 兵 庫 允 光明、 彼 杵に深 掘 高濱彌 五郎 政綱、 高來に 安富 深 江 民 部丞泰 

重、 佐 賀に龍 造 寺 民 部 大輔家 平、 於 保. 高木の 一 族、 三 根に 惠利近 江 守 氏 利. 矢 俣 酉 心 

超 成. 板 部 越 守成 基, 養父に 立 石 源 三郞. 茂 野 長經を 初め、 筑 後に 諸 富 平三郞 入道、 

早速 參陣 す。 賴尙、 其 勢 を 率して 筑 後へ 赴き、 敵 城 を 攻めて 相戰 ふ。 宮 方の 輩に 五 

條 修理 權大 夫. 菅原良 氏. 同 良 遠、 其 外 翁 池 婦部助 武敏. 同名 對馬守 武茂. 提. 岩 松. 宇都 

宫 以下の 者 共、 生 葉. 三 池. 山門に 群り て 賴尙と 合戦す。 此時、 直 冬の 從 兵に 龍 造 寺 民 

部 大輔家 16.、 河北の 軍に 戦功 あ, 9。 斯くて 少貳 賴尙、 筑 後の 軍に 勝利 を 得、 肥後國 

£ 力〕 

へ 打 通. 9、 鹿 子 木大炊 助が 城 を 攻めけ るに、 龍 造 寺の 一 族 家 年 を 初め、 子息 九郞次 



利 右兵衞 佐 直 冬西國 下.^ 所々 軍の 事 



北 肥 戰誌 卷之ニ n 六 

郞 家貞. 同名 孫 六 郞家種 • 同 孫 九 郞家顯 • 同左衞 門次郞 入道 善 智* 子息 孫次郞 家政. 同 

名 孫 三郞季 利。 同彥次 郞家忠 以下、 進んで 大城 を 打破...、 家 平滅を 蒙る。 され ど 

も 鹿 子 木本 城 を 持ちて 破られす。 寄手若干討たる--に依.^て、賴尙軍を引揚げ、太 

宰 肘へ 歸陣 す。 此時直 冬、 軍兵 共の 戦功 を 賞せられ、 龍 造 寺 民 部 大輔家 平に、 本領 

の 上 肥後國 野原 • 西鄕. 增 永の 地頭 職 を 給 は,^、 安富 深 江 民 部丞泰 重へ、 同國 天草 鄉 

の 內木砥 河內浦 天草 大夫十 郞が跡 一 所. 周 防 國仁保 庄卒子 彥三郞 が 跡 一 所、 七月 十 

七日に 加 恩 せらる。 同 八月 初、 筑後國 酒 見 虎 熊 丸 一 族 を 催し、 直 冬 退治と して、 採 

題 一色に 屬し 軍忠ぁ hs。 同月 廿 八日、 直 冬 朝臣, 今 川 五郎 直 虞 を 軍 奉行に て、 筑前 

國月隈 城 を 攻めら る。 九月に 及び 落城せ や。 此時、 深 堀高濱 彌五郞 政綱 分捕す。 大 

衬中尾 次郞. 吉田彥 次 郞等證 人なら。 仍 b て 政綱に、 肥前國 養父 郡の 內十 五町 を 給 

はる。 其 外、 波 佐 見 六郞俊 平. 同 次 郞吉平 も 直 冬に 屬 して 軍 忠を盡 す 故、 俊 平に は 

伊 開 彥四郞 が 跡 一 所、 吉 平に は 山ロ彥 五郎が 跡、 神 崎 庄馬郡 十五 町 を 給 は ぬ。 g れ 

频が。 脚, 明 ZT、5P 一一 同 九月、 K 冬 朝臣、 武家 方 誅伐の 爲め、 吉 見四郞 以下の 軍兵 を筑 



攻陣薩 菊 

落; 银州池 
す 城に 武 
^ャ, 重 



後 國へ差 向けられ、 同月 六日 已刻, 吉見、 筑後 國府へ 討ち 出づ。 武家の 新管鎮 一色 

宮內 少輔直 氏、 筑 後の 御家人に 下知し、 此敵 を追拂 はむ と、 今 川 掃 部 助賴成 を差逍 

し、 吉 見と 相 戰ふ。 時に 末 安 右 馬三郞 兼有、 今 川に 屬 して 軍功 を抽 んづ。 

觀應ニ 年 卯 四月、 池 左 京大 失武 重、 薩 州に 於て 和 泉の 城 を 攻め 落す。 島 津陸奥 守 

氏 久. 河 上 孫三郞 賴久、 人質 を 出し 翁 池に 降參。 武重、 薩 州に 在 陣 する 事ズス 牛まで 

六箇年、城を落す$^^六箇城なり。 武重, 島 津が人 S を携 へて 吧 後へ 歸る。 其頃乂 

武 重が 嫡 肥 後 守武光 も、 城 越 前 守. 赤 星 掃 部 助 を 先陣と して、 河 尻 肥 後 守 幸 俊が 城 

を攻 む。 幸 俊、 此時 一 色 入道に 属し、 肥 前の 高來 に在陣 して、 無勢なる 故 防ぐ 事 を 

得す、 早速 落城す。 

同年 九月、 菊 池 肥 後守武 光. 城. 赤 星. 三 池. 星 野. 宇都 宮筑 後へ 討ち 出で • 直 冬 朝 ^.少 

K 赖尙と 合戦す。 直 冬 以下 太宰府へ 陣を 引いて * 池と 挑戰 し、 又打负 けられ 寶滿 

〔:m 力 J 

が 岳へ 取 登らる。 菊池續 いてお 戰 ひしに、 直 冬- S 尙愛を も 攻め 落され、 討死. 手 負 

數を 知らす。 時に 直 冬の 從 兵に、 肥 前 鯛の 住人 成 松 兵 庫 助章景 討死す。 同 十月、 少 

足 利 右兵衞 佐 直 冬 西, 下り 所々 軍の 事 - S- 



直 冬 等 敗 

ぼ 



北 肥 戦 fl 卷之ニ ほ 八 

贰菊 池と 相戰 ひ彌. -利を 失 ひ、 一 族 太 宰彈正 少弼經 藤 を 人質に 出しぬ。 菊 池 は少威 

が 降參 を 免し, 彼の 人質 を 連れて 肥 後へ 歸陣 す。 

同 十二月 中旬、 下 松 浦 黨の者 共、 直 冬に 與 力し、 肥 前の 小 城へ 攻め 來る。 千 葉次郞 

胤泰が 家人 等, 岩 部. 金 原 • 中 村 を 先と し、 其 外 今 村 孫 三 郞高弘 以下 出で 向 ひて、 松 浦 

黨と 合戦し、 是を追 退く。 一 色 入道、 其 軍忠を 賞して、 同 廿日 各.. 證判を 得さす。 

同 三年 壬 辰 二月, 探題 一 色 入道々 獻、 肥 前 國高來 • 彼 杵の宫 方 退治と して、 小 俣少輔 

七 郎氏連 を 差遣す。 氏 連先づ 彼杵 へ 打 越え、 矢 上の 城に 入 b て、 高 來の眛 方 を 相 催 

すに、 有 馬. 安富 以下の 武家 方 4f 閏 1 一月 十六 曰 千々 岩の 津 へ 馳せ參 る。 氏 連、 同 十 

七日 千々 岩へ 陣を 移し、 野 井の 城 を 攻め、 又 西 鄕次郞 が 杉 峯城を も 攻めて 合戦し • 

三月 二日、 神代へ 打 通る の 時、 西鄕 出合 ひて 相戰 ふの 間、 安富 深 江 孫 三 郞泰治 等, 散 

散 合戦し、 西鄕 を追拂 ひ、 氏 連 暫く 國府 へ婦陣 す。 P ぉ識 同年の 四月 *當 

探題 道獻 入道の 一 族 一 色 右 馬 權頭賴 行、 九州の 守護 代と して 下向す。 是れは 頃日 

鎭 西の 逆徒 靜 ならざる 由、 京都に 聞え て 差 下さる,.. 所な, 9。 賴行 直に 太宰府に 下 



著して、 先 づ道獻 入道へ 面談し、 右兵衞 佐 直 冬 幷に宮 方の 輩 退治の 事を議 して、 同 

六月、 小 俣 七 郞氏連 を 重ねて 彼杵. 高 * へ 差遣す。 氏 連、 彼杵へ 赴き、 大村丹 後 守 家 

德. 深 堀 五 郞左衞 門 時 勝. 伊佐 早次郞 入道. 矢 上の 何某 を 相 語ら ひ、 高來 郡へ 押 渡り、 

多 比 良 * 神代. 島 原と 合戦し、 同 八月に 多 比 良 七郞重 通が 城を攻 落し、 重 通 を 誅伐す。 

外 M, を 打破る の 時、 安富 新 三 郞疵を 蒙.^ けり。 夫よ. 9 氏 連、 西 鄕次郞 が杉义 4 城 を も 

攻 破,.^ て、 井牟田 を燒拂 ひ、 宇 木の 城に 押 寄せ、 愛 を も 不日に 攻 落しぬ。 斯くて 高 

彼 杵の雨 郡、 大半 静謐せ しかば、 氏 連 先 づ國府 へ歸陣 せし む。 此頃 探題 守護 職の 兵 

軍 以下、 肥 前國府 に在陣 して、 神社 佛閣を 破 却し 燒き失 ふ。 仍. 9 て 征西將 軍宫ょ 

當國の宫方共 へ令旨を下され、滅却の神社皆御再ぁ與„^。 宮、 肥 後の 八 代に 御 坐す。 

直 冬 朝臣 沒 落の 事 

同年 十 一 月、 守護 代 一 色 右 馬頭 賴行、 肥 前の 國府を 立ち 太宰府へ 歸府 する 故、 小 俣 

七郞 よ, o、 同月 十八 日、 廻文 を 以て 武家 方の 輩 を 相 催し、 筑 前へ 討って 入る。 時に 直 

度 冬 朝臣 落の 事 S 九 



お 戦 誌 卷之ニ 

冬, 賴尙、 同廿 四日 観世音 寺に 支へ て 相 戦 ふに、 直 冬 以下 打 負けて 浦の 城へ 引 籠ら 

る。 守護 代續 いて 是を 攻めし に、 城 中 防 戰叶ひ 難く、 直 冬. 賴尙旣 に 自殺す ベ か し 

處に、 菊 池 肥 後守武 光、 其 頃 高 良 山に 在陣 し、 此 事を閒 付け、 急ぎ 浦の 城へ 後 詰して、 

守護 代の 勢 を追拂 ひ、 直 冬. 賴尙 等の 命 を 助けぬ。 是れは 去年 十月、 寶滿の 軍に 賴 

尙、 菊 池に 降參 して、 向後に 於て は 一 味 申す ベ きの 由、 契約せ しに 依 h そな 。然る 

に 賴尙、 菊 池に 危急 を援 はれ 悅の餘 り、 熊 野の 牛 王に 血 をす、 ぎて、 子孫 七 代まで 

異心 ある まじと 起請文 を 出しぬ。 されば 延文四 年の 秋、 賴尙、 菊 池 を 背きて 大保原 

に 於て 合戦の 時 池が 旗の 蟬 本に 一 紙の 起請 を 結 付け、 彼の 賴尙に 見せけ る は、 此 

時の 神 文な, 0-。 然るに 直 冬 朝臣 は、 股肱と 赖 まれた る賴 尙は宫 方と な b 、骨肉 を 分 

けられし 父將 軍に は、 旣に 怨敵と なち-て、 身の 置 所 もな く、 微服 潜行して 石 見國へ 

落 行かれ、 三 隅 入道 を賴み 蟄居 あ,..^ け. =.。 今年 觀應 三年に 文 和と 改元す。 

北 肥戰誌 卷之 1 1 終 



合 



北 肥戰誌 卷之三 



九州 所 々軍の 事 

文 和 二 年 癸 巳 正月 上旬、 探題 一色 入道々 獻に、 同名 宮內 少輔 K 氏、 其 、職お 代りて 新 

探題と な,^、 九州の 事 を 司る。 同名 右 馬 權頭賴 行、 彌! 守護 代たり。 此時、 畠 山 治 部 

大輔義8|.同子息民部少輔滿§|も、鎭西靜謐の仰を蒙.^て下向せしめ、 薩摩. 大隅 •:《 

向の 間に 在國 し、 宫 方の 輩と 合戰 止む 時な し。 其 頃 守護 代賴行 は, 肥 前國千 栗艄隈 

城に ありけ る を * 同月 廿ニ 日、 菊 池. 赤 星、 不意に 押 寄せ 相 戰ふ。 賴行城を守,.^て落 

されす。 菊 池、 千 粟の 陣を 引返き 筑 前へ 打 越え, 少 ffi 賴尙と 一 っにな..^、 探 题を攻 

めむ と議 す。 採 題. 守護 代と もに是 を閬 いて、 さらば 此方よ b 發 して 戰 ふべ しと、 肥 

前の 千 栗 を 打 立ち 筑 前へ 赴き、 針摺 原に 於て、 少貳殲 池が 兩勢 對陣 し、 二月 二::: 合 

州 所々 軍の 事 S 



合 日 
戰奈 
田 
山 



北 肥 戦 誌 卷之三 t 

戰す。 少貳: 家人に は、 武 藤. 朝 曰. 窪. 饗場 以下、 前後に 相備 へ、 翁 池が 郞從に は 城 • 

赤 星 • 城 野. 鹿 子 木 等 左右に 討ち 探題と 戰 ふに、 菊 池が 從 兵の 中、 安富 民 部丞、 軍忠を 

抽んで 首 二つ 分捕し、 採 題の 方に も 小 家 彥三郞 家 高、 高名して 右の 足に 疵を 蒙る。 

斯くて 採 題の 軍、 利 を 失 ひ 針 摺原を 引返き、 肥 前に 歸 b 緩 部の 城に 入らる。 同年 一ニ 

月 三日、 探題 一色 入道. 同宮內 少輔、 軍兵 を 率して 筑前國 へ發向 あ,.. -て、 博 多に 陣を 

取,. > 、飯 盛の 城 を 取 構 へらる。 其 半ばに 肥 前の 宫方 共、 探題の 留守 を 計.^ て頜 內を亂 

妨 する 故、 探題、 早速 肥 前へ 歸 h^、 綾部の 城に 入 て、 東 肥 前の 頷內を 治め、 神崎橫 

大路の 城 を 築かせて、 同年 七月 二日、 * 池. 赤 星 以下の 宫方 共" 綾部 城へ 押 寄せ、 探 

題 直 氏と 相戰 ふ。 綾部新次郞幸^^^ 探題に屬して軍忠ぁり。 菊 池 利 あらや。 筑 前へ 

打 越え、 採 題の 新 城 飯 盛に 取 懸け、 是を攻 む。 此事 注進 あるに 依 b て、 探題 急ぎ 筑 

前へ 赴き、 先 づ日奈 田 山に 陣を 取らる。 同 十 一 月、 宫 方の 輩、 日奈 E 山へ 押 寄せ 探 

題と 相 戦 ふ。 探題の 軍 敗れて 筑前を 退き、 肥 前の 小 城の 城に 入らる。 文 和 三年 甲 

午 、探題 一 色宮內 少輔直 氏、 小 城 を 立ちて 神 崎 仁 比 山の 城に 入らる。 千 葉 介. 龍 造 寺、 



探題に 相隨ふ • 九月 十九 日、 菊 池. 赤 星 仁 比 山へ 取 懸け 相 戦 ふに、 菊 池 討 負け 引返 

く • 探題の 兵、 勝に 乘 b 田 手 波 古川に 追 詰め 敵 を 討つ。 夫より 探題、 千 栗に 陣を移 

さる。 此時 敵、 姪の 濱. 飯 盛の 兩城 を攻 むる の 由 注進 あ,..^ しかば、 直 氏 是を拂 はむ た 

め、 則ち 千 栗を發 して 筑 前へ 討 入らん と、 背 振 山 を 越えら る。 敵、 彼の 兩城を 攻め 

し 事 は、 元よ.^ 菊 池が 謀に て、 當 山の 絶頂に 伏兵 を 置きた. y。 採 題、 是 お知らす の 

さの さと 通, し 時、 件の 伏兵 一 一 萬餘騎 * 左右よ. 鬨の 聲を揚 ぐ。 探題の 軍兵 僅 五 千 

餘騎、 鬨を 合せて 入 b 亂れ 散々 に相戰 ふ。 此肥前 國背振 山と 申す は、 昔 性 空 上人 

の、 眞 如の 月の 前に 心 を 澄し、 天竺 無 熟 池の 水を此 頂に 汲んで、 人間業 障の の 衣 

を灌 がれし H 本六辨 財、 其 一 數の靈 地に て、 高嶺 雲に 養え、 半 腰に 雷 飛び、 深 谷に 霧 

満卷 きて、 渺々 たる 荒野なる に、 敵 味方 凡そ 三 萬 人、 鬨の聲 • 矢 叫の 音 夥し。 愛に 菊 

池が陣中ょ.^赤星と名乘b、其勢ニ千計b、探題の旗下を目懸けて切憑る。 是を見 

て 探題の 手の者、 其外宗 像. 江上. 龍 造 寺. 千 葉. 緣部. 村 田. 立 石 以下、 赤 星 を 支へ て 相 

戰ふ。 又 菊 池が 陣 より 草 野 右近 將監秀 永と、 上 松 浦の 者 共 一 同に 懸 b て、 赤 星に 力 

. 九州 所々 軍の 事. M 



歸の 敗.; 5g 
る 濱れ疆 

城て 直 

に 姪 氏 , 



北 肥 戦 fl 卷之三 

を 合す。 時に 採 題の 家人 遠江國 奥山 太郞、 生年 * 三と 名 乘り、 白 綾の 母 衣 懸けて、 

筑 前の 宗像七 騎と打 れ戰 ひしが、 痛手 餘多 蒙り、 今は是 までな りと、 松 浦 草 野 右 

近 察 監が陣 へ 離 入り、 松 浦 源 八と 引 組み、 合 期 叶 はす 生 捕と な.^、 深手に て あ. し 

かば 、幅て ぼ:、 陣中に して 死にけ.^。 斯くて 探題 終に 打 勝たれ、 翁 池 勢 返 散し、 直 氏. 

恙なく 筑 前に 赴き、 娃 の濱. 飯 盛の 敵 をも拂 つて、 先づ 愛に 在 城 せらる。 

探題 一 色 直 氏 歸洛の 事 , 

文 和 四 年 乙 未、 延 文と 改元す。 今 年少 貳筑後 守 賴尙、 筑前國 早 良 郡 岩 門の 城に 楣籠 

る。 依りて 探題 直 氏. 原 田 孫 四 郞種貪 5> 下、 彼の 城 を 園み 攻む。 少貳 堅固に 守りて 

相戰 ふ。 探題、 利 を 得すして 姪の 濱 城へ 引返さる。 

延文ニ 丁酉 十月、 少貳 賴尙、 岩 門 城 を 持つ 事な b 難き に 依って、 筑 後へ 打 越え、 宇都 

宫壹岐 守 貞久. 草 野 長 門 守 守 永. 星 野 孫 六 入道 を 相 語ら ひ、 星 野が 生 葉の 城に 入 b て 

旗を揚 ぐ。 探題 直 氏. 大友刑 部 大輔氏 時 等、 生 葉へ 押 寄せ 相戰 ふ。 少貳 以下の 城兵、 



防ぐ 事 を 得 や 城 を 落 去. 9、 草 野が 發心嶽 の 城に 入 b ぬ。 

延文 三年 戊戌 正月、 菊 池 肥 後守武 光、 宮 方の 輩 共に 力 を 付くべし と、 肥 後 國を發 し 

て筑後 へ 討 入 h.、 高 良 山に 陣を 取り、 近國の * 方 を 相 催し、 探題 直 氏. 大友氏 時と 所 

所に 於て 合戦す。 少貳も 亦 發心嶽 の 城 を 出で、 三 原に 於て 探題と 防戦し け. o。 然 

るに今年の春ょ.=^秋に至ちて、探題度々の軍に、 菊 池が S め 大に利 を 失 ひ、 其威輕 

くな しかば、 敗軍の 將は 再び 謀ら やと 身 を 謙 返して、. 程なく 歸 京せられ け,.^" 斯 

かりし か は、 大友氏 時も宮 方に 降參 す。 然る 處に、 四月 晦日、 將軍尊 氏 卿 薨去 あ b 

しに依って、彌!九州の武家方共カを落しけるとな,.^。 

间年十 一 月, 池 肥 後守武 光、 筑 後の 陣を 返し、 皇山治 部 大輔義 §1 の、 日向 國六 笠の 

城に あ b ける を 返 治すべし と、 曰 州へ 發 向す。 宫の御 勢に 世 良田 大 腊 大夫 • 桃 井 右 

京亮. 山 名播磨 守、 其 外 山 鹿. 小 代 S 下肥. 後國の 輩、 菊 池に 馳加 はる。 H 向國は 九州 

の 東南に して、 高山 蛾々 と峙ち 平地 少く道 狭し。 翁 池. 彼の 嶮難を 四: n 四 夜に 打つ 

て 日 州に 著陣 す。 大友刑 部 大輔氏 時 も、 頃曰宮 方に 降參 する 故、 鄉 池が 催促に 應じ 

探 厘 一 色 iatl- 歸洛の 事 



攻の六 菊 
落兩 笠^ 
す 城三武 
な 俣 光 



北肥戦^|| 卷之 三 

て、 此度 出陣せ し が、 降參は 1 旦の 和義な る 故、 忽ち 飜 b て 中途よ 引返し、 高 崎の 

城に 循 籠る。 宇都 宫 大和 守 元 綱 も、 大 友に 同心し, 大河 を 前に 當て、 菊 池が 通路 を 

相 遮る。 翁池、是を事ともせす、 畠山父子の籠.=^たる六笠.三侯の兩城を、 十 一 月 十 

一 日よ b 攻め 憑け て、 日夜 十餘 曰に 攻め 落し、 首を切る 事 三百 餘 なり。 畠 山 父子、 

遁れて 落ち 去り ぬ。 菊 池, 兩城を 攻め 落し、 同名 肥 前守武 安. 宗 右馬助 尙茂を 六 

笠に 居 置き-名 和 伯 誉七郎 長 重. 河 尻 九 郞を三 俣の 城に 籠め て、 曰 州 を 治め、 己れ は 

肥 後に 歸陣 す。 大友も 宇都 宫も、 菊 池が 勇 氣に吞 まれ 出で 戰ふ事 もな し- 

延文四 年 己 亥 二月、 菊 池 肥 後守武 光、 去年 十一月 日 州 合戦の 時, 大友氏 時が 中途よ 

ち 飜. c- て、 高 崎の 城に 引 籠. し を惽 しと 思 ひし 故、 是を攻 め 干して 誅伐すべし と、 肥 

後圃を 立って、 先づ筑 後まで 張し • 宫 方の * 方 を 相 催し、 上 筑後を 打 通 b て豐後 

へ 赴きし を、 大 友の 一 族 til, 次 丹 後守賴 時、 妙 見 城に あ b て 菊 池が 通る を 支 へ むと す。 

武光是 を 聞いて、 筑後國 の * 方 一 萬 餘騎を 以て、 妙 見 城 を 一 日の 中に 攻め 落し、 拆 

筑 前の 少貳 へ 使 を 立て.."、 高峙表 へ 出 勢の 事 をい ひ 遣す。 然る に少^^!賴尙 、菊 池に 



菊 池 光 

妙 見 城な 

陷る 



心 を 返し, 其 返答に も 能 はす、 剩へ武 光が 使 を 切る, 菊 池 腹 を 立てし かど も是 に拘 

らす、 筑後國 の 宫方草 野 • 星 野 • 宇都 宫. 黑 木. 河 崎. 南條. 溝 口 を 催し 加 へ 、 大友 退治の 

爲め、 豊後國 へ 討 入 b て、 先 づ玖珠 の 城に 入,...、 大 友が 高 崎の 城 を 攻めむ とす。 其 跡 

に 阿蘇 大宮司. 詫 間別當 等、 菊 池に 對 して 逆心 を 企て、 大 友と 引合せ、 肥 後 國小國 の 

城に 楣籠. 9、 九つの 要害 を 構へ た. o。 然る 間、 宮の御 勢 江 田 丹 後 守 • 鳥 山 左 衞門佐 • 

; H 名播磨 守. 祧井 右京亮 以下の 輩、 島津. 山 鹿. 小 代 を 相 語ら ひ、 阿蘇. 詫 間 を 攻めて、 

九つの 要害の 內、 五箇 所 は 攻め 落しぬ。 此時菊池武光は、豐後の^^珠の城にぁ...* 

太 宰少贰 再び 武家 方 と^る 事 

太 宰筑後 守賴尙 は、 去る 建武の 合戦 後、 將軍 家へ 對 して 隨 分の 忠臣な..^ しか ども、 

探題 一 色 入道が 權 勢に 募り、 世に 人 もな く 振舞 ひし を猜 み、 旣に 怨敵と な て、 去 

る貞和 年中、 直 冬 朝臣 を壻に 取り、 其 後見と して 將軍 へ 向 ひ、 却って 弓 を 引き、 近年 

は 又 直 冬 を も 捨てて 宮家と な, o、 彼是の 不義 重 過せ しに 依. て、 諸人の 嘲. 大方な 

太 宰少^ 再び 武家 方と なる 事 



少甙賴 光 

ま た 武家 

方と なる 



賴尙菊 池 

に 被らる 



北 肥 戦? I 卷之三 X 

らゃ。 賴尙も 流石 面目なく 思 ひて、 今 又 先非 を 改め、 將軍 家へ 對し 忠節 を勵 まし、 

御 赦免 を 蒙 て 世の 人口 を も 止め むと 思 立ち、 去る 二月、 翁 池が 使 を 斬..^ 義絕 せ し 

め、 同 三月 上旬に、 筑前. 肥 前 兩國の 輩 を 相 催す に、 其 勢 一 萬 餘騎に 及びぬ。 頼尙是 

を從 へて、 筑後國 の 糸 田へ 討って 出で、 菊 池が 豊 後に 赴きし せ;; 後 を 相 遮 b 、子息 早 

良 次 郞直資 .從 弟太宰 中務少 輔赖泰 は、 高 良 山に 陣を 張る。 菊池は^^珠の城にぁり 

て、 此由を 聞き、 其奴 原 一 々追拂 へと 勢 を 分けて、 高 崎の 城 をば 押へ 置き、 其 身は筑 

後へ 押來 り、 少貳が 糸 田の 陣へ押 寄せ 相戰 ふに、 少貳打 負けて 太宰府へ HF 退き、 高 

良 山に 陣 したる 直資. 賴泰も 一 戰に 及ばす、 粥 田の 庄 I。 へ陣を 引く。 斯くて 菊 池. 老 

臣 共へ 談合し ける は、 容易く 少貳は 追 散らしぬ。 此儘豊 後へ 打 越え 大友を や 攻め 

む。 又 太宰府へ 赴き 少贰を や 誅伐せ む U さなくば先づ八代へ歸.=^て、 阿蘇. 詫 間 を 

や 追討す べきと 意見 を 問 ふ- 城. 赤 星 以下. S. して 曰く、 敵國の 長陣は 士卒の 勞れな 

b。 先 づく御 歸陣ぁ 上し、 阿蘇. 詫 等の 凶徒 を 御; fEe あれと 申す。 武光、 此議に 

同じ、 筑後國 を 立って A 代へ 歸.^ 、宫の 御 勢と 一つに な. 9、 小國表 へ 出張して、 阿蘇 • 



詫 間と 相戰 ひ、 四 箇所の 要害 一 々攻め 落す に、 詫 間 は、 五月 廿八 = 軍門に 降.^、 阿蘇 

大宮司 は、 同廿 九日 城 を 去. = ^て 落ち 失せぬ。 武光、 小國の 凶徒 を 返 治し、 諸 を 引 

、,. て S なく 八 代へ 歸 hs 人り け h -。 

■ 大 保 原 合 戰の事 

同年の 夏、 太 宰少貳 «尙* 新將軍 義詮公 へ 先非 を悔 い、 御 敎書を 申し 給 は つ て、 九州 

二 島 を觸れ 廻す に、 武家 方の 士卒 馳せ 集り、 其 勢 旣に六 萬餘騎 になり て、 大 友と 勢 

を 合せ 肥 後へ 發 向し、 征西將 軍の 宮を 初め 舉り、 菊 池 一 家 を 返 治すべし と議 す" 此 

事、 八 代へ 聞え、 菊 池 入道 宗愚 家の 子 共 を 集めて、 此度 子息 武光 以下の 者、 軍旅 拙き 

に 依,.^ て 、南 北 の 敵を閣 き、 軍 を 半 ばに 三 國に歸 .9 入. し 故、 今少贰 大 友 大敵 と な り 

て 蜂起す と、 大 に怒,.^ 悔み し程 に、 武光 を 初 め、 城 • 赤 星. 城 野 入 代 • 是を 無念 に 思 ひ、 

急ぎ 彼の 敵 を 退治して、 宗 愚に 面を灌 がんと 評定し、 同年 七 下句、 征西將 5^ の宫 

一品 式部 卿 世 良 親王. ゲ- 上將 軍と して、 御-か J を 太宰府へ 進め 琴る。 御供の 月 卿 雲 客 

大保原 合戦の 事 



北 肥戰誌 卷之三 さ 

に は、 洞院 大納言. 春 日中 納 言. 北 畠 源中納 言. 花山院 少將. 竹林 院 中將. 土 御 a: 少將. 坊 

城 三位 • 高 辻 三位. 北 畠 三位 .曰 野 左 少辨主 御門 右 少辨. 葉 室 左 衞門督 • 中 院侍從 • 九條 

大外 記. 同 生水 正、 谷.^ 甲胄 を帶 し、 御馬の 前後に 相從 はる。 武家に は、 山 名 播磨守 • 

岩 松相模 守. 祧井 右京亮. 世 良田 大膳大 夫. 田中彈 正大 弼. 江 田 丹 後 守 • 同 太郞. 堀 口 孫 

三郞. 里 見 新藏人 • 一 井 又 三郞. 鳥 山 左 衞門佐 *大 島 兵 庫 助 • 堤宮內 少輔. 岩 松 左 馬 助. 

名 和伯耆 判官 長生 • 同 次 郎長顯 • 同 修理 亮長高 • 兒島備 後 入 道義 淸* 宇都 宮三 河守貞 

久 刑 部丞. 同 左 近大失 將監. 結 城 右馬助. 加 藤大夫 判宫. 熊 谷 民 部 大輔直 氏. 同 子息 

豊後 次郞。 其 外 肥 後國に は、 軍 將菊池 肥 後守武 光. 同名 右 金 吾武盛 • 同 次郞武 信. 同 

孫 三郎武 明. 同對 馬守武 茂. 城 越 前 守武顯 • 赤 星 掃 部 助武貫 • 八代大 隅 守 • 太宰 彈正少 

弼. 權 少貳經 藤. 子息 彥次^ 親資. 河 尻 新 次郞. 加 屋兵部 大輔. 國 府伯耆 次郞. 甲斐 民 部 

少輔林 ^ 纖。 子. 小 代太郎 入道 .隈 部 • 宇 同. 城 野人 口 志. 大津 山. 大野 式部 大輔. 派 讚 S 寸。 筑 

後 國には 菘田丹 波 守. 同 出 雲 守. 溝 口 丹 後 守 • 草 野 長 門守. 星 野 孫 六 入道. 黑木 大膳大 

.1K. 西牟 田讃岐 守, 諸 富 平 三 入道. 南 條河內 守: 御厨 孫 四郞. 蒲 池 山城 入道 .深 澤刑部 允. 



武家の 武 



土 肥 九郞. 本 間 次郞。 肥 前 國には 千 葉 刑^ 大輔 胤泰. 後藤 又次郞 光明 .大 村 丹 後 入道 • 

安富 深 江 K 部允泰 重. 同 岩 崎 孫 三 郞泰治 • 白 河參河 入道 • 鹿 島 刑 部大輔 • 稻佐 治部大 

輔。 薩摩國 に は 島 津河上 又 三 郎親久 .澀 谷 三 河 守. 同 修理 亮* 谷 山 右馬助。 大 隅に は 

牛 糞 越 前 守。 日向に は 伊東 大和 守 • 土 持 十郞. 宮崎掃 部 助: W 所 兵 庫 允, 高山 民 部大輔 • 

編 脇 播磨守 • 河野邊 四郞, 波 多 野次 郞見 參. 岡 三 河 守. 庄美作 守。 豐 後に は 堤 安藝 權守 

家資. 太 田筑前 入道、 是等を 宗徒の 者と して、 肥 後. 肥 前. 筑後蠱 後. 薩摩夫 隅 .a 向の 

軍兵 都合 五 萬 餘騎、 筑後國 へ 著陣 し、 高 良 山 を 本陣に 構 へ 、 柳 坂 耳納山 へ 充満し、 太 

宰府へ 討ち入らむ とす。 先陣 は 菊 池 肥 後守武 光な り。 此事 太宰府へ 開え しかば、 

太 宰少貳 筑後守 賴尙、 さらば 中途 へ 出で 向って 戰 ふべ しと、 急ぎ 太宰府 を 打 出づ。 

相從ふ輩には、嫡子新少貳.早良^^^郎直資.從弟太宰中務大輔賴泰.武藤出雲.左近將 

監 賴充. 同名 新 左 衞門經 高. 子息 平 井豊前 守 尙經. 同名 藏人大 夫 資貞. 肥 後 刑 部 左衞門 

泰親山 井 孫 三郞經 親. 朝 曰佴馬 將監資 眞* 馬場 肥 前 守 經專堀 三 郎經勢 • 西 上 總介資 

氏. 武 藏對. 撝次 郎賴資 • 同與次 郞資俊 .饗 場 左 近 將監、 其 外 他家に は、 原 田彈正 少弼種 

大保原 合戦の 事 n , . 



北 肥 is 卷 i1 六ュ 

貞. 秋 月 修理 亮穩 高. 同名 式部 大輔. 山 鹿 麻 生 筑前守 • 本 間 左 近 次 郞* 相 馬 小 太郞. 土 S 

孫 三郞. 木 幡左近 將監. 西 河 兵 庫 助. 澀谷播 磨 守. 极田彈 正 少弼. 草 壁 六郞. 宗像 大宮司。 

肥 前 國には 高木 肥 前 守 家 直. 國分彥 次郞季 朝. 龍 造 寺 左 近將監 家經. 於 保 彌五郞 弼宗. 

今衬 孫三郞 利廣. 江上 太 郞大夫 • 綾部 修理 亮.籐 木 三郞、 极浦黨 に は 松 浦 丹 後 守 勝. 平 

BS 肥 前 守 直. 志 佐 左 近將監 有. 同 修理 亮. 有 田 出 雲 守 持 • 山 代 彌三郞 弘* 伊 萬 里 源三郞 

負-波 多 太 郞武. 鴨打彥 六增. 吉井三 郞.留 主左衞 門. 草 野 駿河守 永 • 安田 a. 左 衞門藏 人. 

後藤 次郞俊 明. 同名 掃 部允經 明. 有 馬 藤 三 郎房澄 • 深 堀 左 衞門尉 勝。 筑後國 に は 

三 原 大和 守. 酒 見豐後 守武敎 • 末 安 右 馬三郞 兼秀。 薩 州に は 島津上 總大失 判官 師久 • 

舍弟 陸奧守 氏久。 大 隅に は 牛 糞 刑部大 夫。 豊 後に は 詫 間別當 太郞. 高田筑 前々 司 • 

高 橋兵衞 次郞. 幡田 又三郞 以下 都合 六 萬 餘騎、 上 筑後大 保 原へ 著陣 す。 大友 刑部大 

夫 氏 時 も、 少貳へ 力 を 合せん と 軍兵 を 催し 打 出づ。 此手 には子 息 孫 太 郎氏繼 • 一 族 

次 丹 後 守 賴時. 同大 神式 部 大輔直 時. 畠 山 治 部 大輔滿 sr 其 外 新開 右馬允 .a 杵美作 

守. 佐 伯 山城 守. 古庄 左 近大夫 將監. 吉弘左 衞門尉 • 一 萬 田 右京 一学 志賀又 六郞. 吉岡左 



近 兵 衞由原 孫 八郞. 齊藤 式部 大輔. 利根. 松 岡. 久 保. 徳永 .朽 網 • 橋 爪 夫津留 以下、 蟹: 前 

に は 城 井豊前 守. 長 野隱岐 入道 等 相 集りて 貳萬 餘騎、 筑 後の 生 葉に ャ いで • 星 野 孫六入 

道が 城代 を 追 出し、 少貳 g 尙に 參會 して、 是も大 保 原に 陣を 取る。 頃 は 延文四 年 七 

月下 旬、 九州の 軍兵 敵 * 方、 都合 拾 三 萬 六 千 餘騎、 高 良 山. 耳 納山. 鰺 坂 • 生 葉へ 打 群 

,.^、山野民屋に充滿して、宮の御陣には日月の御旗を靡し、其下に引兩•廳羽•月星•帆 

掛船. 藤 丸. 三つ巴. 菴に 木瓜 十文字、 其餘 家々 の 旗 共 を 立てた..^。 少貳. 大 友が 陣に 

も、 一 勢々々 備を 立て, 馬の 駔場を 見 縫 ふ。 

斯くて A 月朔 曰、 $肝慨隊^2?^:4。細^曰^は宫方の軍將菊池肥後守武光、 光づ 己が 手 

勢 を 率し 馬 を乘り 出し、 密に 千年 川の 深淺 を^ 見して、 足場 を 見 計,.^ 川 を 渡し • 少 

貳が先 勢 武籐出 雲 左 近將監 • 山 鹿 麻 生 筑前守 • 原 田彈正 • 秋 月 修理 亮が鰺 奴へ、 蹄 を 

進め切.^褂る。 武藤 以下、 如何 思 ひけむ" ー戰 にも 及ば ゃ大保 原へ 引返く。 斯く 

て將 軍の 宫、 御馬 を 大保原 へ 進めら る。 先陣 は 菊 池 孫 三郞武 明. 島 津河上 乂三郞 親 

久. 牛 糞 越 前 守 以下、 肥 後. 薩摩. 大 隅の 兵八千 餘騎。 二 陣は肥 後 守武光 手勢 五 千餘騎 • 

大保原 合戦の 事 さ 一 



北 肥 戦 Sll 卷さー 一 S 

三 陣は肥 前の 兵 千 葉 刑 部 大輔: K 村 丹 後 入道 • 後藤 又 次郞. 安富 民 部 1^ 同 孫 三郎. 白 

石 三 河 守 以下。 四 陣は豊 後. 筑 後の 兵草野 長 門 守 守 永. 星 野 孫 六 入道. 黑木大 膳大夫 • 

南 條河內 守 以下。 五 陣は宫 の 御 旗本 月 卿 雲 客 源 家の 貴族、 其 外 名 和. 結 城. 熊 谷. 加 藤. 

宇都 宮 な,..^。 彼此 都合 五 萬 餘騎、 大保 原へ 押 寄せ、 同 六日の 夜半 計..^、 菊 池 武光逞 

兵 を 勝つ て 三百 餘騎、 城 越 前 守 を前甌 として、 少貳が 陣を夜 討に しけ.^。 陣中 大に 

騷 動し、 同士 討す る 事" 算を亂 して 八 百 餘人切 死す。 此時、 少貳 勢の 中に、 肥 前國の 

住人 深 堀 五郎 左 衞門時 勝 自身 太刀 打し、 親類 志 波 原 次 郞兵衞 明 成. 若 黨岡本 孫三郞 

疵を 被る。 同 一 族 深 掘 高木 左 近 將監貞 房 も, 早 良 次 郞直資 の 手に 屬 して 戰 功を勵 

す。 ね Ms 、おと 平/ ilv 八月。 然るに 菊 池 は、 手 合の 軍に 討ち 勝って 是に機 を 得。 翌 くれ 

ば 七 :11 の 黎明、 宮 方の 先陣 翁 池 孫 三郞. 河 上. 牛 糞. 伊東. 土 持 .宮 崎 掃 部 允一 戰を 始め 

たり。 少貳が 前駆.:^ 秋 月 .三 原-神代 相 憑に 懸. 9 て戰 ひしが、 打 負けて 二 陣に備 へ 

たる 新 少貳早 良次郞 は." 資が陣 へ 崩れ 懸る。 資齒を かみて 大音聲 を 揚げ、 蓬し 方 

方、 直資爱 にあ. と眞 前に 進んで 戰 ひしが、 込み 重なる 敵の 爲め、 資 忽ち 討死し、 



末 安馬 次^ 兼秀 以下 宗徒の 兵 三十 人、 立 所に 討 たれた.^。 W 池, 彌.. 勝に 乘.^ 、 總軍 

五 萬 餘騎、 太鼓 を 早め 射手 を 進め、 日月の 御 旗の 蟬 本に、 一 紙の 書 文 を 結 付けて 眞前 

に 靡す。 是は 一 年、 少貳、 浦の 城に て 菊 池に 援 はれ、 子孫 七 代に 至る も、 異心 ある ま 

じき^ 書きた る 起請文な り。 扱武 光、 手勢 五 千 を 以て 极浦黨 於保彌 五郎. 龍 造 寺 左 

近 將監. 高木 肥 前 守 以下の 肥 前 勢と 入 亂れ、 少時 戰 ひて 追 崩す。 少贰 の陣ょ b も、 朝 

日但馬 將監資 直. 平 井 豊前守 尙經七 千 餘騎、 菊 池 孫 三郞武 明が 陣 へ 割って入る。 武 

明、 態と 敵に 中 を 割らせ、 是を 陰に 閉ぢ て圍め ば、 資直. 尙經、 又. 陽に 開いて 討戰 ふ。 

斯 かる 處に、 豊後 勢の 中よ b 卢次 式部 大輔直 時、 橫 合に 來 りて、 武 明が 後 を 撃つ。 武 

明-前後に 敵 を 請け 散々 に戰 ひしが、 討 負けて 終に 討死し け b。, 是を 見て 一 族 十一 

人、 手の者 百 餘人引 組みく 皆 討死す • され ども 河 上. 牛 糞. 伊東. 肝酣. 土 持. 宮崎、 其 

外薩摩 • 日向 夫 隅の 者 共 は、 猶少貳 が陣に 切って 懸り、 束 西 《 北に 馳け立 つる。 少 

« 方よ, > 宗徒の 一 族 等、 是を 支へ て相戰 ひしが、 利 を 失 ひて 敗走し、 武藤藏 人大夫 

資貞 • 朝日 但馬將 監資直 *武 藤 新 左 衞門經 高 • 窪 能 登 太 郞* 次大 神式 部 大輔直 時 を 

大保原 合 戰の事 



^池武 信 

ま i タ v 



北 肥戰讅 卷之 一 二 六 六 

始め、 百餘人 討死し け 愛に 又、 菊 池 肥 前 次郞武 信. 赤 星 掃 部助武 貫、 其 勢 合せて 

二 千 五 百 餘騎、 今日 少« が 軍 奉行 太 宰中務 大輔賴 泰が陣 へ切懸 る。 賴泰是 を 見で 

己が 一 萬餘騎 と、 同名 賴充が 勢 を 一 つに 合せ、 菊 池. 赤 星を眞 中に 取 籠む。 武 信. 武 

貫 過ぎし 頃、 菊 池 入道に 恥 しんら れ、 此 合戦に 一 定 討死と 思 儲けし かば、 少しも 騷 

. が す、 頼泰. 賴充が 大勢と 駆 合 はせ、 火 を 散らして 相戰ひ • 赤 星 は 平 井豊前 守と 引 組 

み 刺 違へ て 死し、 武信も 返 かや 切 死に 死す。 其 外、 宫の御 勢に は、 結 城 右馬助. 宇都 

宮刑 部お 一. 加 尾 兵 部 大輔. 庄美作 守. 加 藤大夫 判官. 太 田 入道 • 熊 谷 民 部 大輔. 同豊後 守. 

太宰彥 次郞. 松 田 丹 後守, 同 出? 5 守 • 御厨 十 郞. 國分 次郞. 安富 岩 崎 孫三郞 以下 討死し、 

少貳 方に も武藤 左近將 監賴充 池 孫 三郞が 老臣 岡 上 左 馬 助 生 捕れぬ • 敵.^. 方 拾 三 

萬 餘騎、 さし もに 廣き大 保 原野々 l!^MIO と に、 今朝 卯 刻よ. 入.^ 亂れ、 終 n= の 軍 止ま 

t 宮の軍 將菊池 肥 後守武 光、 今日 の 出立に は、 緋 綴の 鎧に 白 緣の幌 愚け て、 薩摩出 

の黑き 馬に 紅の 厚總 掛けて 乘 b た, y。 一 族 共が 討死す る を 見て、 武 光が 死すべき 時 

刻、 早 愛な る ベ しと、 少^^が陣 へ 閑に 馬 を 進む。 將 軍の 宫、 是 を御覽 じ、 汝 死な は 我 



{S>1! 方の 公 

卿 討死の 

面々 



武家 方 敗 

北 



も 死し、 汝 生きな ば 我 も 亦 生きむ と、 御馬 を 陣頭に 進めら る • 宮の 御風 情 を 見舉. cs、 

月 卿 源 家の K 、名 和 .兒岛 の 者 共、 我れ 先にと 御馬の 前に 進みて、 沼の あ.^ し を 

駅 渡し 敵陣 へ 相 近づ く。 少贰. 大 友. 松 浦. 高木. 島津 .ffi 谷. 神代 以下、 是 を上將 よと 

見知って, 大勢 一 所に馭集..^、千變萬化して相戰ふ。 其 一軍 烈しく して、 將 車の 宮 わた 

i ザれ 

がみの 御 W 先に、 太 刀疵 を 負 はせられ、 旣に討 たれ 給 ふかと 見えければ、 宮の御 

命に 代らむ と. 春 曰 大納言. 洞院權 大納言. 北 畠中納 言 .H 野 左少辨 • 土 御門 右 少辨. 坊 

城 三位 • 北 畠 三位. 花山院 g 位 少將. 高 辻 三位. 葉 室左衞 s: 督、 其 外 武家に は、 世 良田 大 

膳大 夫. 祧井 右京亮 • 江 田 丹 後 守;: 石 松相模 守. 山名播 磨 守 .堀 口 孫 三 郎. 里 兑新藏 人、 敵 

〔:; 私 力〕 

中 へ 駆 入. ^-(- 皆 討死 あ.^。 是迄も 菊 池武光 は、 肌燒 ます ま勞れ や、 少贰 が總: 束と 入 

亂れ、 死 狂と 見えて 相戰 ふ。 此時少1